Bài tập đọc hiểu tiếng Nhật trình độ N1 - ケータイ依存で退化した日本人

penguin20110

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一旦ケ一夕イを使い出すと、誰しもたいへん奇妙な感覚に襲われるようだ。①常に自分の側に置いておかないと、落ちつかない気分になる。大事なのはメッセージではない。それどころかメッセージが来るかどうかということですらない。メッセージがもたらされるチャンネルが確保されているかどうか、という点に関心があるようだ。

一昔前までの社会生活であれば、人々は顔と顔を合わせて、互いに自分たちの情報や考えを交換し、共通点を見出しては共感したり、連帯感を抱いたり、あるいは反発しあったりするのが普通だった。②だが、今は違う。メッセージなど大した意味を持たない。どこかに帰属しているという認識を持てなくなり、規範や共有できる価値観を失った現代人は、他者とのつながりを求めて、無数の外部の他者を結びつけている媒体にすがりつくこととなる。このケータイは膨大な人間をネットワークに包んでおり、無数の他者と同じ対象を見たり、聞いたり、情報を共有している。この同じ回路を共有しているということで、自己の帰属欲求を満足させようとしているのである。だから、ケ一夕イという他者と共有するチャンネルがないと、人は不安に陥るのである。
(正高信男「ケータイ依存で退化した日本人」より)​

問1 ①「常に自分のそばに置いておかないと、落ちつかない気分になる。」とあるが、それはなぜか。
1 ケータイがないと、様々な新しい情報が手に入らなくなるから。
2 ケータイがないのは、他者と自分を結びつける回路がないのと同じだから。
3 ケータイという媒体がないと、他者にメッセージが送れないから。
4 ケータイがないと、他者と同じ対象を見たり聞いたりできないから。
問2 ②「だが、今は違う。」とあるが、以前に比べて、どこがどう変わったのか。
1 異なる考えの人を避け、同じ考えを持つ人との交流しかしなくなった。
2 情報選択の幅も広がり、価値観やライフスタイルも多様化した。
3 人と人の生身のつながりが薄れ、ケータイが他者とつながる回路となった。
4 技術進歩のおかげで、個と個が顔を合わせずに情報交換できるようになった。
 
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