Bài tập đọc hiểu tiếng Nhật trình độ N1 - 国語の時間

penguin20110

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「今度の日曜日に、お宅にうかがってもよろしいでしょうか」人を訪問したい時、相手の都合を聞くのによくこういう言い方をします。

何でも平等という人が多くなって、日常、身のまわりから次第に影が薄くなってきているものの一つに、こうした謙譲語があります。相手よりも自分の方を低目に扱う姿勢をあらわしますが、これを一概に、媚びとか屈従、被支配に結びつけるのはどうかと思います。学歴、職歴を問わず、人生の辛苦に長年月耐えて生きてきた人に対する物言いは、同年の者への物言いとは異なるのが自然ではないでしょうか。謙譲を支えるのは、たとえばこのような、内から自然に湧き出してくる「敬い」の気持ちのはずだと思うのです。謙譲語が使われなくなると言うことは、人を気づかうとか「敬い」の気持ちとかが失われていくことのように思えるのです。

言葉は意味が通じさえすればいいというのものではないと思います。日常の言葉には、そのまま、(  ①  )と気づいてから、私には言葉をめぐる楽しさも増えたかわりに、不安も、恐ろしさも増えました。
(竹西寛子「国語の時間」より)​
・影が薄くなる:あまり目立たななくなる。
・キャリア:(職業・生涯の)経歴。専門的技能を要する職業。

問1 ( ① )に入る文はどれか。
1 人それぞれの生き方が表れている
2 経済的な豊かさを測る基準である
3 その人のキャリアや経験が表れる
4 生まれ育ちのよし悪しが表れる

問2 謙譲語に対する筆者の考え方と合っているものはどれか。
1 謙譲語しだいに使われなくなったのは、社会が平等になったからである。
2 謙譲語の使用は目上の人に対する礼儀であり、守るべき日本の美徳である。
3 謙譲語とは、内から自然に湧き出してくる「敬い」の気持ちの現れである。
4 媚びや屈従の謙譲語は使うべきではないが、「敬い」の謙譲語は使うべきだ。
 
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