Dịch bài về 1 lá thứ cách đây 112 năm liên quan đến quan hệ Nhật-Mỹ

kamikaze

Administrator
Bài này hơi dài nhưng dịch để hiểu 1 chút về quan hệ Nhật-Mỹ ngày trước :wink:

112年前の日米交友の手紙、ジョン万次郎のひ孫大磯の中濱さんが秘話披露/神奈川

幕末に偶然にも米国に渡って近代文明を学び、帰国後は同郷、土佐藩(現在の高知県)の坂本竜馬や岩崎弥太郎ら英傑に多大な影響をもたらしたといわれるジョン(中濱)万次郎。波乱の生涯を通して日米友好を願い続けた一人だ。万次郎のひ孫で作家の中濱武彦さん(70)=大磯町在住=の手元には代々伝わる一通の手紙がある。送り主は遭難した万次郎を救った捕鯨船船長の息子。「それでは両家にまつわる秘話を教えましょう」―。

◆渡米した初の日本人

 ジョン万次郎の人生はまさに波瀾(はらん)万丈だ。土佐の漁師見習いだった14歳のとき、しけに遭い、太平洋の鳥島に流れ着く。たまたま通りかかった米国捕鯨船のホイットフィールド船長に救われた。家族同様に迎え入れられた万次郎はマサチューセッツ州の私立学校を首席で卒業したといわれる。恵まれた生活だったが、鎖国下にあった祖国を憂い帰国を決意。嘉永4(1851)年、ペリーが開国を迫る2年前、琉球を経て10年ぶりに故郷の地を踏んだ。その後、米国に渡った初の日本人として幕府や藩に登用され、開国や日米友好を訴え続けた。造船、測量、航海などの先進技術や国際情勢も伝え、人材を育て上げる。

 「そんな万次郎が終生忘れなかったのが、ホイットフィールド船長や家族への恩義なんです」。時は明治に移り、新政府の命で、万次郎は通訳として渡米。1870年、公務の合間に同船長が暮らす懐かしの街フェアヘーブンを訪ねた。21年ぶりの再会は万次郎43歳、船長は65歳だった。町民が次々と集まり、お祭り騒ぎになったという。

◆最晩年に託した思い

 そして本題の手紙である。万次郎と同じく海を愛した三男、慶三郎は海軍省経理局の主計大尉になっていた。1898年、米国に初めて出張する際、老父からホイットフィールド家への手紙を託される。最後の再会から28年が過ぎていた。だが、慶三郎が事前に送った手紙には返事がない。約3カ月の滞在も終わりかけたころ、一通の手紙が届く。ホイットフィールド船長の長男マーセラスからだった。そこには郵便の遅配があったこと、父母は亡くなったが生前は万次郎を常に誇りに話していたこと、これを機に両家の友好を深めていきたいことなどがつづられていた。慶三郎はすぐに時間をつくり、米海軍の協力でマーセラスと対面を果たす。

 「このときに私の祖父慶三郎が捜し当てなければ両家は永遠に関係が切れていたかもしれない」。膨大な資料を基に万次郎の生涯を本にまとめてきた中濱さんは、そう感じている。日米が戦火を交える冬の時代も経て、両家の交友は5代にわたり続く。それだけではない。万次郎の故郷土佐清水市とフェアヘーブンは姉妹都市となり、今では短期留学制度も設けられている。「若い世代の異文化交流を残したことが万次郎の一番の功績ではないでしょうか」。中濱さんは曾祖父の冒険譚(たん)を満足そうに語り終えた。


http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1010130016/
 

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