家庭におけるしつけや学校における教育は、子どもをこちらの岸から社会というあちらの岸に渡すことだと思います。ところが、子どもを向こう岸に渡すとなると、(注1)得てして教師は橋を架けることばかりに熱中します。しかし、これは間違いです。
( ① )、こちら側にいる子どもたちは、それぞれいる場所が違うからです。上流にいる者、中流にいる者、下流にいる者など、さまざまです。いる場所が違うということは、それぞれ必要なことが異なるということです。上流にいる者に対しては、導く者はせせらぎを発見すべきでしょぅ。(注2)川がせせらぎ波立っているのは、底が浅い証拠です。別に橋を架ける必要はなく、その子どもには履き物を脱ぎ、裾をまくって渡ることを教えればすみます。中流では橋を架けるのもよいでしょう。しかし下流に行って川幅が広がり、海からの逆流が強ければ、なかなか橋を架けることも困難です。であれば、下流にいる者には舟で渡ることを教えるべきです。
(注1)得てして:ある傾向になりがちであることを表す語。=ともすると
(注2)せせらぐ:水が浅瀬を音を立てて流れる。
問1 ( ① )に入る語はどれか。
1 たとえば 2 したがって 3 なぜかというと 4 要するに
問2 筆者はこの文で一番訴えたいことはなにか。
1 社会人として独立できるような技能を身につけさせるべきだと提案している。
2 家庭か学校か会社か、場所によって教育法は異なるべきだと提案している。
3 知識の詰め込みではなく、もっと実用的なことを教えるべきだと提案している。
4 画一的な教育を批判し、一人一人の個性にあった教育の必要を提案している。
( ① )、こちら側にいる子どもたちは、それぞれいる場所が違うからです。上流にいる者、中流にいる者、下流にいる者など、さまざまです。いる場所が違うということは、それぞれ必要なことが異なるということです。上流にいる者に対しては、導く者はせせらぎを発見すべきでしょぅ。(注2)川がせせらぎ波立っているのは、底が浅い証拠です。別に橋を架ける必要はなく、その子どもには履き物を脱ぎ、裾をまくって渡ることを教えればすみます。中流では橋を架けるのもよいでしょう。しかし下流に行って川幅が広がり、海からの逆流が強ければ、なかなか橋を架けることも困難です。であれば、下流にいる者には舟で渡ることを教えるべきです。
(童門一「木くばりのすすめー細川重賢」<文藝春秋特別版>より>
(注1)得てして:ある傾向になりがちであることを表す語。=ともすると
(注2)せせらぐ:水が浅瀬を音を立てて流れる。
問1 ( ① )に入る語はどれか。
1 たとえば 2 したがって 3 なぜかというと 4 要するに
問2 筆者はこの文で一番訴えたいことはなにか。
1 社会人として独立できるような技能を身につけさせるべきだと提案している。
2 家庭か学校か会社か、場所によって教育法は異なるべきだと提案している。
3 知識の詰め込みではなく、もっと実用的なことを教えるべきだと提案している。
4 画一的な教育を批判し、一人一人の個性にあった教育の必要を提案している。