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penguin20110

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世界に誇る日本の温泉

日本には温泉が多く、日本人ほど温泉好きな国民は世界でも珍しいといわれています。さまざまな泉質の温泉があり、昔からけがや病気を治すためにも温泉は利用されてきました。今回は温泉についてご紹介しましょう。

 日本では、古くから温泉が利用されていて、現在では3000カ所を超える温泉地があり、多くの人々が今も「温泉」を利用しています。種々の伝説はもちろん、歴史的な文献である古事記、日本書紀、万葉集そして各地の風土記、温泉地を描いた絵図等、随所に温泉やその利用方法などが記されています。日本書紀、古事記などでは天皇の入湯記録があり、これらの歴史的文献に基づいて、「伊予の湯」=愛媛県・道後温泉、「牟婁の湯」=和歌山県・白浜温泉、「有間の湯」=兵庫県・有馬温泉が「日本三古湯」と呼ばれています。また温泉は、火山活動などが盛んな地域において、数万年も前から自然に沸き出していたものであると考えられています。温泉の歴史は、私たち人類の歴史よりも古いものだったんですね。

 温泉は一般的に、高温なお湯のイメージかと思いますが、冷たい温泉だってあるんですよ。色に関しても、普通のお湯と変わらない透明や乳白色、褐色と様々ですよね。もちろん臭いだって違います。無色透明、ほとんど無味無臭で、含まれる成分が比較的少く、身体への刺激が一番少ないことから万人向けの温泉で、神経痛、慢性消化器病、冷え性、病後回復、疲労回復、健康促進などの効能のあるといわれている単純温泉。白から微黄色、卵の腐ったような硫黄臭があり、美人の湯とも呼ばれ、慢性皮膚病、慢性婦人病、きりきず、糖尿病、高血圧症などの効能のあるといわれている硫黄泉。その他にも様々な泉質の温泉があります。自分に合った泉質の温泉を見つけるのも楽しいかもしれませんね。
現在、著名な温泉場には旅館やホテルが立ち並び、大きなリゾート地を形成しています。しかし最近は大自然と静寂を求めて山奥の一軒家の温泉に人気が集まり、開放的な露天風呂で自然とのふれあいを楽しむ人も増えてきました。温泉が体をいやし、自然が心をいやすのでしょうね。旅行雑誌で温泉の特集が組まれることも多く、温泉ツアーも盛んに行われています。

 みなさんも一度ゆっくりと温泉につかって、日々の疲れを癒されてみてはいかがですか?今回は「温泉」についてご紹介しました。

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日本の伝統行事「七夕」

日本には、3月の桃の節句や5月の端午の節句などがあると以前お話しましたが、7月7日の七夕も五節句のひとつなんですよ。今回は、七夕についてお話しましょう。

 7月7日七夕の日の行事は、8世紀に中国から伝わった「七夕伝説」がひろまり、宮中の儀式として始まったと言われています。当時は、御殿の庭で星を眺めながら、詩歌を詠んでいたそうですよ。とてもロマンチックな七夕・・・ここで、七夕伝説についてお話しましょう。
 昔、天の川のほとりに、織女というとても美しい天女が住んでいました。織女は毎日お父さんの言いつけを守り、化粧もせず機織に精をだしていました。そんな娘をかわいそうに思ったお父さんは、牽牛という牛飼いと結婚させたのです。それから2人はとても幸せに暮らしていましたが、2人の生活が楽しすぎて、一切働かなくなってしまいました。織女のお父さんはさすがに怒ってしまい、織女と牽牛を引き離しました。ですが、1年に1度、7月7日の日だけ、2人に会うことを許したのです。たった1度・・1年に1度の短い夏の夜を過ごすため、織女と牽牛は今まで以上に一生懸命働くようなりました。今でも、日本の夏の夜空を見上げると、“織女の星”と呼ばれる「ベガ」と“牽牛の星”と呼ばれる「アルタイル」が天の川を隔ててキラキラと光っているのです。

 さて、日本の七夕には、古くから伝わる日本独自の文化で、笹に短冊をつけて願い事をするという風習があります。カラフルな短冊がたくさん飾られている笹は、「夏のクリスマスツリー」と言われるほど、美しいものなんですよ。初めは、5色の糸を笹に飾っていました。5色の糸は「願いの糸」呼ばれ、この糸をかけて織姫と牽牛の2つの星に祈ると、その願い事が3年の間に必ず叶うといわれていました。それがいつしか、短冊に書道の上達などを書いて願うようになり、現在では、短冊や吹流しなど、華やかな飾りをつけるようになったのです。なかでも特に有名なのが、仙台の七夕祭りです。このお祭りは、七夕の行事としては珍しく、毎年8月に開催されます。街には5千本の笹が飾られ、パレードや、花火など盛大に行われます。毎年、およそ50万人もの人が、その華やかな祭りを一目見ようと、仙台の街を訪れるんですよ。今年は8月6日、7日、8日の3日間で開催されますので、みなさんも日本一の七夕祭りを見に行くのもいいかもしれませんね。

 今年の七夕、夏の夜空を見上げ、あなたは何を願いますか?今回は七夕についてお話しました。

(Nippon Voice Blog, Linguist)
 

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日本の手ぬぐい

日本には、タオルとよく似た、手ぬぐいという布があります。素材は木綿で出来ており、18世紀頃から、手をぬぐったり、風呂道具などとして使ったりと、暮らしの必需品として親しまれていました。今回は、手ぬぐいについてお話しましょう。

 15世紀末、中国から日本に綿種(わただね)という、コットンの元になるものが入ってきました。そこで、無地の木綿さらし布が誕生したのですが、18世紀になると、庶民の手によって、華やかなデザインが生まれました。木綿手ぬぐいも時代の推移とともに、日常的な生活用具として普及していきました。また、現在の帽子やスカーフのように、粋な手ぬぐいで髪を包むのは、町人のおしゃれでもあったのです。旅に出るときも、手ぬぐいは欠かすことのできない七つ道具の一つで、二本以上用意するのが常識だったんですよ。
 さて、手ぬぐいの、様々な使い方をご紹介しましょう。例えば、傘の下に被り、日よけとして使う『ふきかけ手ぬぐい』があります。また、旅の途中で、下駄の鼻緒が切れてしまった場合の応急処置としても使われていました。そして、体を洗ったり、食器を拭いたりはもちろんのこと、荷物を包んだり、アイロンのあて布に使用するなどの実用面にも大変活躍していました。時には、赤ちゃんのベビー服としても使用されていたんですよ。現在では、お祭りなどでしか見かけられませんが、おしゃれの一つとして、手ぬぐいをねじって頭に巻く「ねじりはちまき」もあります。

 さて、手ぬぐいは、どのように作られるのでしょうか?ここでは、手ぬぐいができるまでを、簡単に説明していきましょう。まず、下絵を描き、型紙を作ります。次に、和紙に彫刻刀で彫り、絹の紗(さ)を漆(うるし)で張り付けて仕上げます。型紙を木枠に張り、木ベラで糊(のり)をつけ、染料を注ぎます。糊を置いた部分は染料が入らず、糊を置いた以外のところに、染料が染み込んで染まります。この手ぬぐいの染色方法を注染(ちゅうせん)と言います。最後に糊を水で洗い落とします。色を重ねる場合は、同じ工程を繰り返します。こうした作業を経て、1枚の手ぬぐいが完成するというわけなんですね。手ぬぐいの柄も様々で、日本的な扇柄や、水玉模様のような豆絞り、またディズニーなどのキャラクターを描いた柄もあるんですよ!

 自分でデザインができるオリジナルの手ぬぐいを作れるお店もあるので、世界に一つしかない、自分だけの手ぬぐいを作るのもいいかもしれませんね。今回は手ぬぐいについてお話しました。

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日本の国民的行事「高校野球」


日本では、毎年、春と夏の2回、全国の高校生の野球大会が行われます。兵庫県西宮市にある甲子園球場で行われるこの大会は、日本の国民的行事になっています。今回は、日本の「高校野球」についてご紹介しましょう。

 甲子園球場は、通称「甲子園」と呼ばれ、日本の高校野球の代名詞にもなっているんですよ。炎天下の中、ボールを追いかける高校生のひたむきな姿は、世代を超えて人気を集めています。 春の野球大会・通称「センバツ」は毎年3月下旬から4月にかけて行われます。「センバツ」の出場校は、選出委員会によって決められます。夏の野球大会・通称「夏の甲子園」は毎年8月に約2週間の日程で行われます。「夏の甲子園」の出場校は、まず6月中旬から7月下旬に行われる地方大会で勝ち残った各都道府県の代表高・全49校が、トーナメント方式で頂点を競います。「甲子園」で活躍した選手は、プロ野球のドラフト会議で指名されることもあり、プロへの登竜門ともなっています。「甲子園」では現在メジャーリーグで活躍している野茂英雄投手やイチロー選手、そして松井秀喜選手など、多くのスターを生みだしているんですよ。「甲子園」で、未来のプロ野球選手・メジャーリーガーに出会えるかもしれませんね。

 さて、「甲子園」の名物といえば、スター選手の他にもたくさんあります。甲子園の開会式で使用される選手入場行進のテーマソングは、春夏それぞれに特色があります。「センバツ」の甲子園のテーマソングは、毎年の流行歌を取り入れたものになっています。変わって「夏の甲子園」は、お馴染みの曲「栄冠は君に輝く」です。お馴染みの曲が流れてくるたびに、記憶に残る名場面が思い出されます。地元応援団も試合と共に見逃せません。笛や太鼓などの鳴り物、またブラスバンドの演奏に合わせての応援の掛け声や、応援団のパフォーマンス、各高校の特色があふれています。その他にも、全校生徒がチューリップハットをかぶっての応援や、スケッチブックを利用した人文字による応援などもよく目にします。
 自分のお気にりの応援団を探すのも、おもしろいかもしれませんね。ちなみに、試合に負けた高校が土を持って帰る習慣があるのですが、それは「来年必ず甲子園に戻って、もって帰った土を返そう」という思いが込められてるんですよ。

 「甲子園」で勝った高校、負けた高校、それぞれにドラマがあり、見ている人の感動を誘います。皆さんも目の前で、そのドラマを感じてみてはいかがですか?今回は、「高校野球」をご紹介しました。

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日本の漬物「梅干」

見ているだけで、口いっぱいに唾液が広がり、口に含むと、とても酸味が広がり、やみつきになる「梅干」。様々な効能がある「梅干」は、古くは薬として用いられ、今や日本の家庭の食卓に無くてはならない漬物となりました。今回は「梅干」についてお話しましょう。

 「梅干」はおよそ1300年前に、中国から梅の実を燻製(くんせい)にした「鳥梅(うばい)」として、 日本に伝わりました。そこから、「梅干」という名前で広まるのは、8世紀頃。当時は、位の高い貴族や僧侶など限られた人々に、解熱や殺菌などの「薬」として食されていました。いくさ戦の止まない時代には、こんな使われ方もありました。長い戦に出る武士達は、食料袋に、「梅干の果肉」「米の粉」「氷砂糖の粉末」を練り合わせて作った「うめぼしがん梅干丸」を常に携帯していました。「うめぼしがん梅干丸」は、激しい戦いでの体力回復や、生水を飲んだときの殺菌など、かねてからの「薬」としての使用の他に、喉が渇いた時には、梅干を見てスッパさを思い出し、口に溜まる唾液を溜めて喉を潤したりと、とても役に立ったんですね。
 多くの年月を経て、今のように「梅干」が一般家庭に登場し始めるのは、日本に伝わってから、およそ800年後のことでした。この頃になると、町に「梅干売り」が見られるようになり、ようやく食用として食べられるようになりました。塩だけで漬け込んだ「梅干」は、清潔に保存すれば、何年たっても腐らないとされています。現存する最も古い「梅干」は、なんと西暦1400年頃に作られたんですよ! 一体どんな味がするのか、食べてみたいですね。

 現在では、「梅干」の種類も増え、様々な味の「梅干」が楽しめるようになりました。昔ながらのしょっぱい味の「白梅干」や、はちみつで味付けをした「はちみつ梅」。他の素材を足して、まろやかな味に仕上げた、「かつお梅」や「昆布梅」など白いご飯にぴったりの「梅干」がたくさん登場しています。さらに、ちょっと変わったところでは、ピり辛のキムチ風に漬けた「キムチ梅」もあります。ご飯はもちろん、お酒にも良く合いそうですね。  

さてここでは、歴史ある「白梅干」の作り方をご紹介しましょう。用意する材料は、「よく熟れて黄色くなった梅」10キロ、「塩」1.8キロです。梅の種類は、「南高梅」や「小梅」を選ぶと良いでしょう。まずは、梅を水洗いして水気をきります。容器に梅を半分程入れ、その上に塩・1.2キロをかぶせます。そして残りの梅を入れ、また同じように残りの塩をかぶせ、蓋をし、重石をのせます。およそ20日間漬け込んだら、後は3~4日、天日干しをしてできあがりです!できあがった「梅干」は、密閉できる瓶などにいれて、涼しい所で保存しましょう。

 「梅干」の主成分は、殺菌や疲労回復などの効果がある「クエン酸」です。現在日本の健康ブームの中で、「体の代謝を良くする食品」としても、注目を浴びています。皆さんも1度、すばらしいパワーを持つ「梅干」を作ってみてはいかがですか?今回は、「梅干」についてお話しました。

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国民の祝日「敬老の日」

9月19日は、国民の休日の1つ「敬老の日」です。「敬老の日」は、「長年にわたり社会につくしてきた、おじいさん、おばあさんを敬愛し、長寿を祝う」日です。元々9月15日でしたが、2003年からは、9月第3月曜と定められ、今年は9月19日になります。今回は、「敬老の日」についてお話しましょう。

 「敬老の日」の由来は諸説ありますが、その1つとして、「聖徳太子説」があります。聖徳太子が大阪に四天王寺を建てた時、このお寺にあわせて、敬田院(きょうでんいん)・悲田院(ひでんいん)・施薬院(せやくいん)・療病院(りょうびょういん)という4つの建物を設置したといわれています。そのうちの1つ、悲田院は、身よりのない老人や、病人を収容する救護施設として設立したと伝えられているんです。この悲田院ができたのが9月15日であったため、 この日が選ばれたということなんですね。現在の敬老の日は、1954年に設けられたのが始まりです。その後、1966年に現在の「敬老の日」と制定され、 国民の祝日となったんですよ。

 「敬老の日」は、地域の高齢者を、いたわり励ます行事や、周囲の人たちの「敬老」に感謝する行事が全国的に行われ、家庭でもお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの長寿をお祝いしています。現在、日本は「高齢化社会」と呼ばれ、年々高齢者は増加しています。2004年には、100歳以上のご長寿は2万人を超えていることがわかりました。そんな長寿大国の日本では、どのご長寿に聞いても、 「よい環境で生活をし、適度な運動、適切な食べ物を摂ることが、「長寿の秘訣だ」と答えています。特に長生きするには、「食事」が一番大切なのではないでしょうか?
 昔、日本人の食卓は、セリ・ナズナなどの山菜や、鯉・ドジョウなどの川魚、イナゴ・ゲンゴロウなどの昆虫類など、たくさんの野山の幸であふれていました。だからこそ、おじいちゃん、おばあちゃんは、 今でも元気に暮らしているんですね。ここで、簡単にできる「ご長寿料理」のヒントをご紹介しましょう。大根や野沢菜などの野菜を軒先にカラカラになるまで吊るします。これは、野菜の栄養を逃がさず、摂取できる方法の1つです。干したものを漬物にしたり、味噌汁の具などにして食べるのが長生きの秘訣なんですよ。自然の恵みを受け、暴飲暴食することのないように食生活を見直すいい機会かもしれません。

 おじいさん、おばあさんに感謝しながら一緒に食卓を囲み、健康にいい食事をしてみるのもいいかもしれませんね。今回は「敬老の日」についてお話しました。

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幸福を招く置物「招き猫」


日本では、お店や商売をしている家庭などに、前足で人を招く形をして座っている猫の置物が飾られていることがあります。それは、「招き猫」と呼ばれ、商売繁盛の縁起物なんです。今回は「招き猫」をご紹介しましょう。

 「招き猫」の由来は諸説あり、そのなかで最も古い伝説にこんなお話があります。1660年頃、東京にある豪徳寺(ごうとくじ)は、当時大変貧しい寺でした。ですが貧しい暮らしの中でも、その寺で飼われていた猫はとても大切にされていました。ある夏の日、寺の前を、タカ狩りから帰ってきた江州彦根の殿様、井伊(いい)掃部頭(かもんのかみ)直孝(なおたか)が通りがかりました。すると、猫が門前でしきりに手招きをしているのです。不思議に思った殿様は、寺の中に入り、和尚にその出来事を話していると、激しい雨が降りだし大きな雷が落ちてきたのです。殿様は、「災害を猫が知らせてくれた!」と大変喜び、後日、この寺に多額の寄付をし、井伊家の菩提所(ぼだいじょ)としました。豪徳寺は、その猫によって栄えていったということです。その後、「福を招き入れた猫の姿」を人形として作り、招福猫児(まねぎねこ)」と名づけられました。そこから、今の名前「招き猫」を置くと、吉運がやってくると伝えられたんですね。

 日本では現在、様々な種類の「招き猫」が売られています。一般的に、右手を挙げている招き猫は「お金」を、左手を挙げている招き猫は「人」を招きいれるといわれています。
両手を挙げている招き猫は「お金」も「人」もいっぺんに招いてくれるんですよ。招いている手の位置にも意味があり、猫の耳よりも低い位置は「身近な福」を、高い位置は「より遠くの福」を運んでくれます。また、最近では「商売繁盛」だけでなく、招き猫の色によって効果も違うんです。白色は「福を招く」・黒色は「厄除け」・赤色は「無病息災」・ピンクは「恋愛成就」と様々です。最近では、ガラスでできた招き猫や、絵画仕様になった招き猫も登場し、場所にこだわらず、インテリアとして一般家庭に置かれることも多くなりました。

 時代と共に変化を遂げてきた「招き猫」。皆さんも、これからの自分に合った招き猫を探してみてはいかがですか?今回は「招き猫」をご紹介しました。

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日本の米


世界では、その国の風土から生まれた様々な食文化があります。今回は、「日本の米」をご紹介しましょう。
 日本では、「米」は主食としても食べられていますが、「米」をもとにして“日本酒”という“国民酒”も作りだされています。18世紀ごろに税金を「お金」でなく「米」で納めていたことも影響して、米は食糧という枠を超え、なくてはならない存在として受け継がれてきました。日本人と密接な関係にある「米」が不作の年は、日常生活に危機的状況を作り出しました。現代では海外から輸入することもできますが、昔はそんな手段は無く、「米を大切にする知恵」で乗り越えてきたんですよ。正月にお雑煮として食べたりする「餅」は、もともと保存食として開発された歴史がありました。初めは、おにぎりを圧縮して、つぶした餅状になったものが、携行食として作られました。「餅」は、「持ち歩く飯」ということから名づけられたんですよ。やがて、米をついて固め、片栗粉などの粉をまぶすといった工夫が加えられました。こうすると「餅」が直接空気に触れないので、なんと1年以上の保存も可能なんですよ!

 現代では、米飯を持ち運ぶ時、お弁当箱に入れたり、おにぎりにしてラップに包んだりと様々な方法があります。しかし昔は、自然の中から優れた機能をもつ素材を見つけ、持ち運びをしていたのです。時代劇などで、「竹の皮」に包まれたおにぎりをほおばるシーンを見かけますが、 この「竹の皮」こそが、最もご飯の傷みを少なく持ち運べるアイテムなのです。竹の皮は、ほどよい硬さで“頑丈な性質”を持っています。竹の皮の内側には“殺菌・防腐効果”や、“適度な通気性”、“防水性”まで持ち合わせています。まさにお弁当に必要な条件をすべて満たしているんですね。それに比べると現代のお弁当箱やラップは、見た目の楽しみや手軽さはありますが、“防腐力”や“通気性”はほとんどありません。飽食の時代といわれる現代ですが、昔の人が培ってきた「米を大切にする知恵」をもう一度見直していきたいですね。

 今回は、食に関する「日本の米」についてご紹介しました。

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日本の文化「おりがみ」


みなさんは、おりがみ」を知っていますか?今では知らない人のほうが、少ないかもしれません。「おりがみ」は、一般的には正方形の紙を、のりやはさみなどを使わずに、何かの形を折ることとされています。一枚の紙から、美しい花やかわいい動物を作りだせる「おりがみ」は日本に古くから伝わる文化として、とても親しまれています。今回は、「おりがみ」をご紹介しましょう。
 
西暦1000年頃、日本では、和歌や手紙を贈る時、貴重品の紙で包むことが、流行しました。包むときにつく紙の折り目に着目して、いかに包みを美しく折って贈るかということが恋する男性に手紙を贈る当時の貴族女性には、とても重要な事だったんです。その後、武家などの格式ばった作法にも使われるようになり、何十種類もの方式が、将軍家の礼法として定められたんですよ。現在に残る礼法の例としては、婚礼の「のし」や、お祝儀袋の飾りなどで見かけられますね。今も親しまれている「おりづる」や「やっこ」などは、「伝承折り紙」と呼ばれ、西暦1600年頃、遊戯おりがみとして生まれ、庶民の間に広がったと言われています。
 「おりがみ」には、たくさんの種類がありますが、その中でも一番有名なのが「おりづる」です。昔から日本では、鶴は長寿やめでたさの象徴とされてきました。その鶴を、皆で協力して千羽折り、糸で繋げる「千羽鶴」は、病気の友達の回復を祈ってお見舞いなどに贈られます。また、翼をいっぱいに広げた「おりづる」には、平和を願う気持ちが込められ、二度と、あの広島の原爆のような悲しい出来事がおこらないようにと、世界中から「おりづる」が贈られているんですよ。
 では、ここで「おりづる」の折り方をご紹介しましょう。写真を参考にしながら、挑戦してみてください。まず折り紙を、三角に半分に折ります。次に、もう半分三角に折ります。折り目が着いたら、いったん初めの半分の形に戻します。そして、次にふくろに指を入れ、つぶす形で四角に折ります。裏側も同じように折ります。3つのポイントを中心に向けて折ります。そして、中を広げるようにして、線に沿っております。ちなみにこれを「花弁折り」といいます。裏側もおなじように折ります。両面とも、足のように動く方を、中心に向けて折ります。両面とも、中心を軸にして折り返します。両面とも、下から上に折り上げます。さっきと同じ様に、中心を軸に折り返します。頭の部分を少し折り下げ、羽を広げると「おりづる」の完成です。
 
 気持ちを込めて、1羽1羽、丁寧に「おりづる」を折り、世界中の平和を祈りたいですね。今回は日本の文化「おりがみ」をご紹介しました。

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日本の甲冑


みなさんは、日本の甲冑をご存知ですか?最近では、映画「ラストサムライ」やテレビの大河ドラマの中で、鎧を身にまとった武士が登場していますよね。当時は戦のための実用品でしたが、 現在は美術工芸品として、世界中で評価されています。今回は、日本の甲冑をご紹介しましょう。

 日本には約60万年前から人が住んでいたといわれていますが、その頃から、争いごとは絶えず、たくさんの戦争を繰り返してきました。その中で、自分の身を守る甲冑や武具が生まれ、時代ごとにそれらも進化していったのです。8世紀頃生まれた、丈の短い甲(よろい)、「短甲」から始まり、 自由に手足を曲げ伸ばしできるようになった「珪甲」(けいこう)。10世紀頃には、徒歩戦に適した軽武装用の「胴丸」(どうまる)が誕生し、その後、騎馬戦に適した「大鎧」が用いられました。そして15世紀頃から、19世紀後半までは、軽量で動きやすく、「当世具足」(とうせいぐそく)と呼ばれる甲(よろい)が用いられたんですよ。

 本来なら戦場の消耗品である甲冑が、なぜ現在、すぐれた美術品であると評価されているのでしょうか?それは、武士は死を潔くするために費用を惜しまなかったため、漆や金箔を使ったものなど、美しい材料を使用し、また制作者も武士のために細かい技術を用いて 一品一品魂をこめて作ったからなのです。甲冑には様々な意味が込められています。例えば[短甲]が用いられていた時代には、赤と黒の漆が使用されていました。これは、赤は生命の源である「血」であり、「太陽」であり、「火」の色であるとして神聖な色と考えられており、人々は赤を身に付け、神聖な力で身を守ろうとしていたという説があるんですよ。また[当世具足]が用いられるようになった頃の兜には、日輪(にちりん)や月輪(がちりん)といった 月のシンボルが付けられるようになりました。日輪は「生命」のシンボルとして。
月輪は「不死」と「再生」のシンボルとして考えられていたということです。

現在、甲冑は美術品として人々に親しまれています。欧米では「サムライアート」という独立したジャンルがあるほど、甲冑や武具の評価はとても高いことで有名です。日本では、骨董屋に行くと、以外に安く千円単位で入手できるものもあるんです。日々の暮らしにアート性を活かして、甲冑の一部をネクタイピンにしたり、ハガキ入れ、また花器として使用する事で、違った楽しみ方もできるんですよ。

 みなさんも、日本の伝統的美術品を探しに、骨董屋を覗いてみてはいかがですか?今回は「日本の甲冑」をご紹介しました。

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「二十四節気」の1つ「冬至」

最近だんだんと寒くなり、日が暮れるのが早くなってきましたね。今では夕方の5時を過ぎると、もう真っ暗です。ですが、冬至をさかいにして、また日が長くなるんですよ。今回は、日本の「二十四節気」の一つ「冬至」をご紹介しましょう。

 日本には、1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれを、さらに6つに分けた24の期間があります。特にその始まりの日のことを「二十四節気」といいますが、その中の一つに「冬至」があります。「冬至」は、12月22日頃とされており、この日、北半球では、太陽の高さが一年中で最も低くなり、昼が一年中で一番短く、夜が長くなります。中国の太陰太陽暦(日本の旧暦)では、冬至が暦の起点とされ、厳粛な儀式を行っていました。これが日本にも中世になって伝わり、宮中などでは朔旦冬至(さくたんとうじ)といって祝宴を開いていたようです。こうしたことから、冬至については様々な言い伝えや風習が残されているんですよ。その中から、「冬至かぼちゃ」「ゆず湯」をご紹介しましょう。

 この日「冬至かぼちゃ」といって、かぼちゃを食べると病気にならない」と、古くから各地で言い伝えられています。そのほかにも「厄よけになる」「脳卒中にならない」「風邪にならない」「一年中おこづかいにこまらない」「長生きする」などの言い伝えがあるんですよ。昔の日本では、冬至のころになると秋野菜の収穫も終わって、食べられる野菜もほとんどなくなっていました。そこで元気に冬を越せるようにと願いを込め、栄養もあって保存もきくかぼちゃは、特別に大切にして食べていたようです。冬にビタミンなどの供給源が不足した時代のかぼちゃは貴重なものだったんですね。この他にも、冬至に「ん」のつく食べ物を食べると、幸運が得られるという言い伝えがあります。「ん」が2つつく食べ物で、「なんきん(かぼちゃ)」「にんじん」「れんこん」「ぎんなん」「きんかん」「かんてん」「うんどん(うどん)」で、これらを食べると病気にかからず、うどんは運(うん)・鈍(どん)・根(こん)に通じるので出世するといわれているんですよ。実際には、寒さが厳しくなるこの季節ですから、体が温まり、栄養がある食べ物を食べて、寒い冬を無事に過ごそうという、昔の人の知恵だったんでしょう。
「冬至」の風習のひとつに「ゆず湯」があります。この日、お風呂に「ゆず」をいれて、体を温めるという家庭が多いのですが、これは、「とうじ」という言葉に意味があるのです。冬至の読みは「とうじ」。というわけで、実は、湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけているんです。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きますように」という願いが込められているといわれています。また、「ゆず湯」に入ると肌がスベスベになる美肌効果があったり、冷え性やリュウマチにも効き、体が温まってカゼをひかないとも言われているんですよ。

 これからどんどん寒さが厳しくなりますが、「かぼちゃ」を食べたり、「ゆず湯」に入るなどして、元気に冬を乗り越えましょう。今回は「二十四節気」の一つ「冬至」をご紹介しました。

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年末の大掃除


今年も残すところあとわずかとなりました。日本では、新しい年を迎えるにあたって、年の暮れに家の隅々まで「大掃除」をする習慣があります。今回は、「大掃除」についてご紹介しましょう。

日本では、一般的に「大掃除」を12月13日から31日までに行います。12月は以前「和風月名」でもご紹介しましたが、「師走」と呼ばれる月で、「仏事」を行ったり、お正月の準備などで日本中が大変忙しい時期です。何故そんな時期に「大掃除」をするのだろうと思う人もいるかもしれませんね。それにはこんな由来があるのです。「大掃除」は、18世紀頃、江戸城で行われていた「すす払い」が始まりとされています。日本には、古くから毎年1月1日にその年の豊作や家内の安全をもたらしてくれる「年神様」を迎える「年神祭り」という行事があります。江戸城では12月13日に、「すす払い」の日として「年神祭り」の準備をしていました。「すす払い」は、江戸城内の奥女中が、日ごろ使っている“白無地の手ぬぐい”を“染め模様の手ぬぐい”に変え、神棚や城内のすすを払い落としました。それが民家にも伝わり、12月13日に家のすすを払うという習慣が始まりました。今のように“お正月を気持ちよく迎える為に清潔にする”というよりも、“神様をお迎えするために清める”といった信仰的な意味があったんですね。現在では、12月13日は「大掃除」の日とされています。生活スタイルや掃除の内容も変わり、各家庭で掃除をする日は様々ですが、その日から年末にむけて「大掃除」をするという習慣は根付いているようですね。
年末の「大掃除」。普段まめに掃除をしない人にとっては気が重くなる作業ですよね。さて、ここでは身近にあるものを使ってすばやく簡単に掃除ができる方法を、いくつかご紹介しましょう。普段なかなか手入れができない“網戸”。掃除となると大掛かりで時間もかかってしまいますね。そこで、古くなった洗濯ネットを用意してください。水をしみ込ませた洗濯ネットで、内側と外側から網戸を挟み込むように汚れをふき取ってください。おもしろい程簡単に汚れが落ちるんですよ!これなら洗剤も使わず短時間で終わらせる事ができますよ。手が入らない隙間の掃除には、こんな方法はいかがでしょうか?使えなくなった女性用のストッキングと針金ハンガーを用意してください。針金ハンガーにストッキングを巻きつけて隙間に差し込んでホコリを取り除きます。隙間の奥のホコリもとれて便利ですよね。こんな風にちょっとした工夫で掃除を簡単にできると楽しいかもしれませんね。とはいえ「大掃除」を始めると、日ごろ目に付かなかった部分が気になりなかなか終わらないものです。

「大掃除」で困らない為にも、普段の生活からこまめに掃除するように心掛けましょう。今回は「大掃除」についてご紹介しました。

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日本の伝統料理「おせち」

日本では、お正月に「おせち料理」を食べる風習があります。この「おせち」とは、見た目や語呂合わせで、無病息災や子孫繁栄を願う人々の願いが込められています。今回は、「おせち料理」をご紹介しましょう。

 そもそも「おせち」とは「節日」(せつじつ)に作られていた「御節供」(ごせっく)のことなんです。御節供とは、節日の宴会のご馳走の事で、一月一日(元旦)、三月三日、五月五日、七月七日などの節日に、神前に食物を供え、祝いの料理を作って宴会を催していました。そして、この御節供が「おせち」と略されてお正月の料理だけを意味するようになったんですよ。「おせち」が重箱に詰めた正月料理を指すようになったのは、第二次世界大戦後の話なんです。日本の伝統食のように思われる「おせち料理」ですが、その歴史はまだまだ新しいものなんですね。また、「おせち料理」は、冷蔵庫の無い時代の物なので味付けは濃い目、使っている食材も旬のものが中心になります。今と違って週末の休みも無くいつも働き詰めの上、普段はどちらかと言うと粗食だったので、良く言う「盆と正月」くらいは、ご馳走を…、と言うわけで、主婦を休ませるための意味もあるんですよ。

さて、「おせち料理」には、人々の願いが込められているとお話しましたが、ここでは、それぞれの料理に込められている意味をご紹介しましょう。「黒豆」は、まめ(健康)に暮らせるようにとの願い。そして、黒い色は邪気を払うとの意味もあるんです。「数の子」は、たくさんの卵がまとまっているところから、子孫繁栄の意味があります。「昆布」は、昆布(こんぶ)の語呂合わせで、よろこぶの意味。「海老」は、ヒゲが伸び、腰がまがっている所を老人に見立て、長寿への願い。「栗金団」の、「金団」とは黄金の団子という意味です。  名前の語呂合わせではなく、見た目の“黄金”の色合い、豪華に見える様子から、金銀財宝に見立てているんですよ。この他にも、まだたくさんの食べ物がありますが、どれも昔の人の知恵と、願いが込められているんですね。
 さて、「おせち」は、お重に詰める料理にも順番があるんですよ。元来は、五段重が基本でしたが、核家族化している現在では、三段重が一般的でしょう。そこで、三段重の基本的な詰め方をご紹介しましょう。まず、一の重には口取りと祝肴といった華やかな物を、二の重にはなますやこはだの酢〆のような酢の物を、三の重には、煮物を詰めます。おせち料理は庶民文化が花開いたもの…とすれば、その時代にあった形や盛付けがあって良いと思います。現在は、家庭で作る「おせち料理」以外にも、たくさんのホテルや老舗料亭、デパートでも「おせち料理」を販売しています。形式は変わっても、重要なことは、正月には家族が集い、感謝と祈りをこめて新しい年を祝う事。
 「おせち料理」にこめられた心を知る事ではないでしょうか?家族や親戚でワイワイと語り合いながら、みんなで食べるのが、「おせち料理」の形なんですね。今回は日本の伝統料理「おせち料理」をご紹介しました。

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日本の「鏡餅」
http://www.thelinguist.com/en/ja/library/item/25403/

晴れの日のおもち、祝いのおもち、ねぎらいのおもち、力づけのおもちというように、おもちは何かにつけて日本人の心を表す食べ物として昔から扱われています。また、生活の中の行事に、おもちは欠かせないものとされてきました。新年を迎えた今では、鏡餅を見かける事が多いのではないでしょうか?今回は、日本の「鏡餅」についてご紹介しましょう。

 鏡餅は、神様と人を仲介するものであり、1年間の幸せを願う「晴れの日」に神前に捧げた餅をみんなで分け合って食べることで、神様からの祝福を受けようという信仰・文化の名残りなのです。つまり、鏡餅は神様にお供えしてからいただく尊い餅。「お供え」が鏡餅の別名となっているのはこうしたことに由来しているんですよ。では、なぜ重ねた餅を鏡餅と呼ぶようになったのでしょうか。そのひとつには、丸い餅の形が昔の銅鏡に似ていることからという説があります。古来から、鏡は神様が宿るところとされていました。また、鏡餅の「鏡」は「鑑みる(かんがみる)」。つまり良い手本や規範に照らして考えるという意味の言葉にあやかり、「かんがみもち」とよぶ音がしだいに変化して、鏡餅になったのだとも言われています。さらに、鏡餅の丸い形は家庭円満を表し、重ねた姿には1年をめでたく重ねるという意味もあるんですよ。祈りと、1年無事であったことを感謝する気持ちを込めて飾る行為は、日本人固有の文化なんですね。

 さて、1月11日は鏡餅を食べる「鏡開き」の日です。今年1年の健康や幸せを祈って家族みんなでお餅を食べたいですね!餅を食べる者には、力を授けられるといわれています。もともとは武家の間で行なわれていた習慣でしたが、その後、縁起を大切にする商人の間に広がり、一般化したといわれています。つまり、飾るだけでなく食べてこそ、鏡餅の意味があるということです。供えた餅を下げる日は、各地方によって違いがありますが、現在は1月11日が一般的になっています。鏡開きの日には、鏡餅を割り、雑煮や汁粉などを作って食べるんですよ。

 おもちは、焼く、煮る、炒める、揚げるなど、たくさんの食べ方があります。ここでは、簡単にできる食べ方を少しご紹介しましょう。まずは、オーブントースターを使って、手軽に焼きもちが楽しめます。オーブントースターでおもちを焼く時のコツは、あらかじめ予熱を2分位かけ、3~4分焼いてスイッチを切り、予熱1分位与えると程良い焼き色がつきますよ。次にお勧めなのが、電子レンジを使う方法です。まず、おもちがお皿にくっつかないよう、あらかじめおもちを水でぬらすか、お皿に水をたらしてください。きな粉を敷いてその上におもちをのせるのもグッドアイデアです。お餅を器の上に少しずつ離して置き、ラップをしないで電子レンジに入れます。時間の目安は一個(50g)では約40秒、二個(100g)で1分少々がいいでしょう。温かいお汁やスープにおもちを入れて1~3分という方法もあります。

 みなさんも、今年はいろんなおもちを作ってみてはいかがでしょう?今回は日本の「鏡餅」をご紹介しました。

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春を呼ぶ日本の文化、「節分」

「鬼は~外、福は~内」。2月がやってくると、小さな子供がいる家庭や小学校では、このような掛け声が聞かれるようになります。これは「節分の日」に行われる「豆まき」の行事によるものです。今回は「節分」についてご紹介していきましょう。

 もともと、節分とは「季節の分かれ目」という意味です。春夏秋冬、四季の始まりを示す立春、立夏、立秋、立冬の前日はいずれも「節分」なのですが、現在では、立春の前日だけをさして「節分」、または「節分の日」と呼ぶ事が多くなりました。「立春」というのは、「春が来る日」という意味で、毎年2月4日ごろを指します。春が来る1日前に行われる「節分」の行事は、「春を呼ぶ行事」でもあるんですね。 節分の行事といえば、なんといっても「豆まき」。なんと、8世紀ごろから、立春の前日に「豆まき」が行われていたと伝えられています。「豆まき」では、煎った大豆を年神(としがみ)さまに供えたあと、その豆を、年男、つまりその年の干支生まれの男性が家のあちこちに豆を撒きます。この時、「悪い事は家の外に出て行くように、そして幸福が家の中へやってくるように」との願いをこめて、「鬼は外、福は内」などという掛け声をかけるんです。日本では、昔から穀物などには「悪い事を退ける霊力」があると考えられていました。この行事には、豆を撒く事で鬼に見立てた邪気をはら祓い、幸福を呼び寄せ、清々しい春を迎えようという意味が込められているんですよ。現在では、豆と共に鬼の面が売られていて、子供が家の中から豆を撒き、親が家の外で鬼の面を被って逃げ惑うという光景もよく見られます。このとき撒かれた豆を自分の年齢の数だけ、あるいは年齢に1つ足した数を拾って食べ、1年の無病息災を願う風習もあります。また、妊婦のいる家庭では、この豆を安産のお守りにする事もあるんですよ。

「節分の日」には、「豆をまく」以外にも、様々な「節分の行事」が行われます。まずご紹介するのは、鰯の頭を焼いてヒイラギの枝に刺し、家の入り口に差す、という習慣。鰯の頭はその悪臭で、ヒイラギの葉はその先のとがったところで、鬼を追い払うからだと言われています。匂いがきついという事で、鰯の代わりにニンニクやネギなどを使用する地方もあるようです。この風習は、主に東日本で行われています。また、西日本地域では、節分の日に恵方を向いて太い巻き寿司、「太巻き」を食べるという風習があります。節分の夜にその年の恵方を向いて、長い太巻きを無言でほうばると、1年間良いことがあると言われています。太巻きを食べるのは「福を巻き込む」ため、また「良い縁を切らないため」に、包丁を入れず丸ごと食べるようになったのです。太巻きの中のキュウリを「青鬼」、ニンジンを「赤鬼」に見立てて、「節分の日に鬼をやっつけてしまう」という意味も込められているんですね。節分の晩御飯は太巻きを食べるという家庭もたくさんあり、節分の日、大阪のとある百貨店では、太巻きが何万本も売れるそうですよ。もともと宮中の行事が一般家庭に普及した「節分」の行事。最近は大きな神社などで芸能人やスポーツ選手などを招いて楽しく豆まき大会をやっているケースも多いようです。

日本の2月はまだまだ寒い時期ですが、節分の行事で冬の寒さと共に鬼を退け、幸せいっぱいの春を呼び寄せてみてはいかがでしょうか。今回は「節分」についてお話ししました。

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日本のバレンタイン・デー

2月14日は、「バレンタイン・デー」ですね。世界中のあちこちで愛が語られる日です。 日本
のバレンタイン・デーのキーワードは「チョコレート」。一体なぜだかご存知ですか?今回は、
「日本のバレンタイン・デー」についてお話ししていきましょう。

 そもそも、バレンタイン・デーの起源は、ローマ時代の聖バレンタインという聖者にあります。
毎年、聖バレンタインが亡くなった2月14日には、愛する男女がよりそい、彼の死を悼むという
ところから、自分の愛を届ける日になりました。愛の印の交換は現在でも世界各地で行われていま
すが、お互いに贈り物をしたりグリーティング・カードを送ったりするのが普通です。しかし、日
本ではチョコレートをプレゼントするのが一般的なんです。しかも、女性から男性へ贈るという風
習になっているんです。なぜ、このような文化が出来上がったのでしょうか。

 日本のバレンタイン・デーにチョコレートが登場したのは、1936年。兵庫県にあるチョコ
レート会社がきっかけです。アメリカやヨーロッパで浸透していたバレンタイン・デーにちなんで
「バレンタイン・デーにはチョコレートを贈りましょう」という広告を英字新聞に掲載したのが始
まりなんです。1956年には別のチョコレート会社が「バレンタイン・デーにはチョコレートを
贈りましょう」という広告をだしました。しかし、この頃はまだ女性から男性へチョコレートをあ
げるという話しではなく、愛する人やお友達、家族にプレゼントしましょう、というコンセプトの
もとでした。1958年、またまた別のチョコレート会社がバレンタイン・デーの話を聞きつけ、
東京の百貨店でキャンペーンを行いましたが、この時売れたチョコレートは、たった5個だけ。し
かし、徐々に各製菓会社がバレンタイン商戦に参入し、デパートなども広告宣伝を盛んに行うよう
になったのですが、 それ以上にバレンタイン・チョコレートの文化が定着したのは「日本の女性
が強くなった」という背景もあるんです。1960年代・1970年代は、日本の女性が社会に大
きく進出し始めた時代でした。それまでの日本女性というのは、「好きな男性に自分から告白をす
る」という習慣があまりありませんでしたが、社会に進出し、意見を言える場所が増えた女性に
とって「愛の告白」も当然だという気持ちが芽生え始めた時期でもあるんです。そこで、誰からで
も、誰にでも贈る事が出来た「バレンタイン・チョコレート」を「この日だけは、女性から男性に
愛を告白する日」だというイメージをつけ、女性の購買意欲を促したのではないかと言われています。
 「女性から男性にチョコレートを贈る」というバレンタイン・デーの文化は1970年代半ばに
火がつき、1980年代には完全に定着しました。ですから、意外と歴史の浅い文化だといえます
ね。短い「日本のバレンタイン・デー」文化の中でも、「義理チョコ」「本命チョコ」といったバ
レンタイン・デーならではの言葉が誕生しています。会社や学校などで、お友達や上司に配るチョ
コレートの事を「義理チョコ」、好きな人に贈るものを「本命チョコ」といって区別しているんで
すね。家族の間にも「義理チョコ」は存在し、母親や娘から「義理チョコ」を受け取る男性もたく
さんいるんですよ。
 もちろん、大人だけの文化だけでなく、小学生などの間でもバレンタイン・デーの文化は広がっ
ています。意中の女子学生からチョコレートをもらえるかどうか・・・悩みすぎる生徒が増える
為、チョコレートを禁止する学校が増えてきているようです。しかし、待ちかねているのは男の子
たちだけではありません。その母親たちも、自分の息子が人気者なのかどうか、この日ばかりは気
が気でならないのだそうです。百貨店は勿論のこと、スーパーやコンビニエンスストア、駅のホー
ムにまで様々な種類のチョコレートが並ぶ「バレンタイン・デー」。また、日本国内の年間販売量
のおよそ60パーセントが、バレンタイン・デーの時期によるものなんですよ。

 皆さんも愛の印にチョコレートをプレゼントしてみるのはいかがでしょうか。今回は「日本のバ
レンタイン・デー」についてお話ししました。

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penguin20110

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日本発・世界の健康食品、「豆腐」

日本人のおよそ80パーセントの人々が、1週間に1度は食べるといわれている「豆腐」。いまや日本の代表的な食品であるばかりか、世界中で愛されている健康食品の1つとなりました。今回は日本の食文化の中から「豆腐」をご紹介していきましょう。

豆腐は、基本的に大豆のタンパク質を固めて作る、白くて柔らかい食品です。作り方の違いで、木綿豆腐・絹ごし豆腐など幾つかの種類に分けられます。豆腐は、古来から“長寿食”と言われてきました。それは、肉や魚を用いない精進料理の中で必ず豆腐を食べていた僧侶や、豆腐を多く食べる習慣のある地方の人々に長寿の人が多かった為です。また最近の研究によっても、豆腐が長寿の秘訣、また美容と健康に良いという事が立証されています。2千年から3千年前、初めて中国で豆腐が作られたといわれており、日本へは8世紀頃に伝わってきました。その頃は僧侶や貴族などの特別料理として、大変貴重なものだと考えられていたようです。
 一般に普及したのは18世紀ごろの事で、1782年には「豆腐百珍」という本がベストセラーになるほどの人気でした。どんなに小さな町にも豆腐屋さんがあるほどで、桶などに豆腐を入れて、街で売り歩く豆腐屋さんの姿が見られたようですが、1965年頃からは スーパーマーケットの普及も相まってパック詰めの豆腐が全国的に流通し始めました。また、地方によって、様々な豆を使った豆腐が作られています。例えば、落花生を使った「ジーマーミー豆腐」や枝豆を使った豆腐、またゴマなど豆以外の食材で作られる豆腐もあるんですよ。

さて、豆腐は、「大豆」と「ニガリ」、そして「水」で出来ている、とてもシンプルな食べ物です。このパートでは、家庭で作る事が出来る、豆腐の伝統的な作り方をご紹介しようと思います。まず、大豆を半日から丸1日水にさらし、よくふやかした後ミキサーに入れます。次に、大豆のおよそ2倍のお湯を加えながら少しずつミキサーで混ぜていきます。この作業を何度か繰り返し、滑らかになった所で、ミキサーの中身を繰り返し濾します。濾した液体を「豆乳」、残りを「おから」といい、このままでも召し上がる事が出来ますよ。豆腐を作る為には、豆乳を鍋に入れ、弱火で20分から30分の間、煮込んでいきます。煮込み終わった後、粗熱をとった豆乳にニガリをうちます。ニガリの量は、ほんの数滴で構いませんが、熱湯で溶いてから使用します。しばらくしても固まらない場合は、少し足して様子をみましょう。固まってきたら布を敷いた容器に移し替え、重しを乗せて30分ほど置きます。重しの為に水抜きをされ、形が整えば豆腐の出来上がりです。手作りの豆腐は、おいしさもヒトシオ!。日本の大型スーパーマーケットやインターネットショップなどでは、「豆腐作りキット」も販売されていますから、1度チャレンジしてみるのもよいかもしれませんね。現在では、その原料となる豆乳やニガリも健康食品として注目を浴びている豆腐。

生でも焼いても、煮ても揚げても、 季節に関わらず、どんな食べ方をしても美味しい豆腐を是非味わってみてくださいね。今回は「豆腐」についてお話ししました。

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penguin20110

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日本の名刺

自分の名前、会社名や肩書き、連絡先などが掲載された小形の紙「名刺」は、身分証明となります。一昔前には、厚手のケント紙に縦書きの「名刺」がスタンダードな形でしたが、最近ではバラエティーに富んだ「名刺」が登場しています。名刺の四隅の角を丸くした「角丸タイプ」や、より多くの情報を掲載することのできる「二つ折りタイプ」。相手に早く顔を覚えてもらう為に、「名刺」に自分の写真や似顔絵を入れたりと様々です。最近では、ビジネスマンだけでなく、プライベートで「名刺」を持つ人も増えているようですね。今回は、「名刺」をご紹介しましょう。
 
日本で名刺が使われ始めたのは、1800年頃の事。始めは、和紙に墨で名前だけを手書きで書いたものが使用されていました。当時の使い方は今とは違い、訪問先が不在の時に、訪問した事を知らせる為に使われていました。幕末開国の1860年頃には、役人が、来日する外国人と接する為に名刺交換をするようになり、現在の形に近い印刷された「名刺」になりました。当時は紋所の下に自分の名前を入れるデザインが主流だったんですよ。1862年以降、さらに「名刺」が普及していき、1951年頃からは、日本の社交会では必需品となりました。現在、日本では様々なデザインの名刺が登場し、ビジネスでは無くてはならない存在となっています。西洋の影響を受けて「名刺」を使い始めた日本人ですが、今では、世界の中でもっとも頻繁に「名刺」を用いる国だと言われているんですよ。
ビジネスで最も活用される「名刺」ですが、せっかく素敵なデザインの「名刺」を持っていても、名刺交換がスマートでなければ悪印象に繋がりかねません。ここでは、名刺交換のマナーをご紹介しましょう。「名刺」は、通常目下より先に「名刺」を差し出しますが、訪問先では、相手よりも先に差し出しましょう。もちろん、汚れや折れている名刺は失礼にあたりますので、事前に確認しておきましょう。上司と共に訪問先で「名刺」を交換する場合は、まずは上司と相手。その次に自分と相手という順番に交換と良いでしょう。名刺を渡す前にお辞儀をし、「会社名」「名前」を名乗りながら「名刺」を差し出します。差し出し方は、相手の胸の高さに合わせ、自分の名前を相手の方に向けて両手で差し出します。相手の名刺を同時に交換する場合は、右手で自分の名刺を差し出し、左手で相手の名刺を受け取ります。相手の名刺を受け取った後はすぐに右手も添えるのが良いでしょう。相手から名刺を受け取るときには両手を差し出し、右手で受けすぐに左手を添えます。このとき、相手の会社名や名前に指がかからないように名刺の両角を持ちましょう。受け取った名刺を腰から下にさげると失礼にあたります。受け取った「名刺」の名前をチェックし、読めない漢字などは、その場で確認しましょう。相手の名前が覚えられないうちは、テーブルの上に置きながら話すと良いでしょう。名刺入れにしまう場合は、「頂戴します。」と一言添えるのが理想的ですね。受け取った「名刺」に、相手の目の前でメモ書きをするのはよくありません。電話番号やメールアドレスを書き込む程度なら許されますが、それ以外の情報は、訪問先を出てからにしましょう。

様々な場面でコミュニケーションの促進に役立つ「名刺」。小さな紙から、一生に渡るお付き合いや、大きなビジネスが生まれることもあります。頂いた「名刺」は、目の前にいる相手と同じです。大切に心を込めて「名刺」を扱いましょう。今回は、「名刺」をご紹介しました。

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芸者と舞妓

日本には、芸者や舞妓と呼ばれる女性がいます。最近では、映画「GEISHA SAYURI」などでも取り上げられる程、注目されていますよね。今回は、芸者と舞妓についてお話いたしましょう。

 芸者や舞妓と呼ばれる女性が登場し始めたのは、およそ300年前。京都の祇園が始まりでした。始めは、お寺や神社の参拝客、花見客の休憩所としてできた茶店や水茶屋でお茶や団子を出す仕事をしていました。ですが、昼間のにぎわいは夜も続き、水茶屋では、茶と団子の代わりに、酒と料理を出すようになり、夜専門の店もできるようになったのです。
そこで、店で働く女性が三味線をひいたり、舞を踊るようになることで、更に街はにぎわっていきました。これが今でいう「芸者」にあたる女性です。その後も、茶屋同士の集客合戦は熾烈(しれつ)を極め、やがて少女にかわいい着物を着せ、舞を踊らせるようになりました。これが「舞妓」の始まりです。当時の祇園には、お茶屋はおよそ700軒、芸者と舞妓の数は3000名にものぼり、その活況(かっきょう)は1920年頃まで続いたんですよ。現在は、政界や経済界の、著名人の交遊の場としてその名を轟かせる祇園ですが、茶屋の数は年々減少し、現在は100軒を割り込み、芸者と舞妓もたいへん少なくなってきました。ただ、最近は京都ブームや、各メディアで取り上げられたことから、舞妓志望者も増え、積み重ねられた伝統が、しっかりと受け継がれているんですよ。

 京都の宴席を華やかに飾る芸者と舞妓。いったい何が違うのでしょうか?その違いは「妓(ぎ)」としての修業期間なんです。多くの舞妓は中学を卒業して「店だし」と言われる、舞妓デビューをし、その後、だいたい20歳くらいで芸者となります。その間、京ことばや舞、三味線などを勉強し、芸者を目指します。ちなみに芸者には年齢制限はないんですよ。
また、現在は、労働基準法と児童福祉法により、舞妓になることができるのは15歳以上とされています。

 京都の街をあるけば、美しく化粧された舞妓に出会う事も多くありますが、実は、この舞妓の格好して歩いたり、写真を撮ってくれるお店も数多くあるんですよ。だいたい1万円くらいで、舞妓に変身することができるので、京都を訪れた際には、是非一度体験されてみてはいかがでしょうか?そのときには、舞妓言葉も使いたいものですよね。簡単な言葉では、「ありがとう」は「おおきに」、「すみません」は「すんまへん」、「どうぞお願いします」を「おたのもうします」などがあります。このような、独特の話し言葉が聞けるのも、昔からの伝統が守られている証拠なんですね。

 今回は、芸者と舞妓をご紹介しました。

(Nippon Voice Blog, Linguist)
 

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penguin20110

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Bài 芸者と舞妓 là bài cuối cùng trong chủ đề này rồi, chủ đề này xem như là kết thúc từ hôm nay.
Bạn nào có tìm thêm được bài nào thì bổ sung vô nghen.

今日をもって、このトピックを終了させて頂きます。:-)
 

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