今から2 万年以上前、日本列島は疎林と草原の広がる乾燥した寒冷地だった。ステゴドン象やナウマン象などがいた。シベリアから大量のマンモスや大角鹿などもやってきた。そのころの日本列島の王者はマンモスだった、といっていい。
地球が温暖化し、かつ、湿潤化して雪が大量に降るようになり、一万五千年前ごろから日本列島は森林に覆われるようになる。草原を失い、かつ、温暖化による海面の上昇で海峡が出現したため、大陸に戻れなくなったマンモスたちは、人間たちによって狩りつくされ、絶滅する。マンモスを狩りつくした人間たちも続いて死ぬ運命にあったが、それを救ったのは森林の出現であった。森林の木の実、野菜、鳥獣などが新しい食料となった。さらに森林が成育したことによって、安定し、かつ、栄養を蓄えた川は、大量のサケ、マスなどを遡らせ、人間に栄養豊富な食料を提供した。その水が海に流れてプランクトンを養い、たくさんの貝や魚がやってきて人々を喜ばせた。
こうして私たちの祖先は、この日本列島において生き延びることができたのであった。まことに森林は、救いの神であり「母なる森」であった、と言えるだろう。そしてそのことを身をもって知っていた①私たちの祖先は、ただ一方的に森林の恩恵に浴しただけではなく、森林を保護しようとしたのであった。このことはあまり言われていないことだが、②よく考えなければならないことではないか。
( ③ )、そのころ、世界史的に見ると、森林を潰して農耕や牧畜にするところが増えていったが、縄文時代の一万二千年間、ついに私たちの祖先は本格的農耕や牧畜を行わなかったからである。そして本格的農耕や牧畜をやったところは、みな森林を失ったが、日本列島においては森林の再生を前提とする焼畑農耕などは行われたものの、本格的な農耕や牧畜をついにやらなかったために、森林は破壊から免れたのである。
従来、④それは、日本列島の環境条件のせいとされた。島国であるがために、大陸から本格的農耕も牧畜も入らなかった、というのである。しかし、考古学的には、七千年前から五千年前ごろの温暖期に、朝鮮半島を経由して九州の西北岸、とりわけ有明海沿岸に多くの漁労民の移住が見られる。続いて、三千五百年前から千五百前ごろにかけての寒冷期に、ユーラシア大陸の北方民族が南下して日本にやってきている。他にも、東シナ海の航海漁労民も絶えず日本列島各地に足跡を残している。日本は島国とはいえ、縄文時代に国際的交流がなかったわけでは決してないのである。つまり、( ⑤ )わけではなく、また、大陸から入ることができなかったのでもなくて、⑥入ってくるのを私たちの祖先が拒否した、と考えられるのである。そのおかげで日本列島の森林は破壊を免れた、といっていい。
問1 ①「私たちの祖先は……森林を保護しようとしたのであった」とあるが、その内容の説明として最も適当なものはどれか。
1 森林の恵みに感謝し、森林を増やそうとした。
2 森林を潰すような本格的な農耕や牧畜を行わなかった。
3 大陸から本格的な農耕や牧畜が伝わらなかったので、森林は破壊から免れた。
4 農耕を一切行わず、最後まで狩猟採集の生活を守った。
問2 ②「よく考えなければならないことではないか」とあるが、筆者は何について考えなければならないと言っているのか。
1 どうしてマンモスが絶滅したのかということ。
2 森林の恩恵に浴したこと。
3 私たちの祖先が森林を保護しようとしたこと。
4 森林の再生を前提とする焼畑農耕を行ったこと。
問3 ( ③ )にはどの語が入るか。
1 しかし 2 というのは 3 ところで 4 つまり
問4 ④の「それは」は何を指しているか。
1 森林が破壊から免れたこと
2 森林を失ったこと
3 本格的農耕も牧畜も入らなかったこと
4 本格的な農耕や牧畜をしなかったこと
問5 ( ⑤ )にはどの文が入るか。
1 農耕や牧畜を知らなかった 2 農耕や牧畜を知っていた
3 農耕や牧畜をしなかった 4 農耕や牧畜をした
問6 ⑥「入ってくるのを私たちの祖先拒否した」とあるが、日本人の祖先はどうして本格的な農耕や牧畜を拒否したのか。
1 農耕や牧畜をしなくても、森林の恩恵だけで十分生活できたから。
2 農耕や牧畜は、救いの神であり、「母なる森」である森林を壊すことになるから。
3 日本の風土が農耕や牧畜に適していなかったから。
4 農耕や牧畜は、狩猟採集に比べてとても時間や労力がかかるから。
地球が温暖化し、かつ、湿潤化して雪が大量に降るようになり、一万五千年前ごろから日本列島は森林に覆われるようになる。草原を失い、かつ、温暖化による海面の上昇で海峡が出現したため、大陸に戻れなくなったマンモスたちは、人間たちによって狩りつくされ、絶滅する。マンモスを狩りつくした人間たちも続いて死ぬ運命にあったが、それを救ったのは森林の出現であった。森林の木の実、野菜、鳥獣などが新しい食料となった。さらに森林が成育したことによって、安定し、かつ、栄養を蓄えた川は、大量のサケ、マスなどを遡らせ、人間に栄養豊富な食料を提供した。その水が海に流れてプランクトンを養い、たくさんの貝や魚がやってきて人々を喜ばせた。
こうして私たちの祖先は、この日本列島において生き延びることができたのであった。まことに森林は、救いの神であり「母なる森」であった、と言えるだろう。そしてそのことを身をもって知っていた①私たちの祖先は、ただ一方的に森林の恩恵に浴しただけではなく、森林を保護しようとしたのであった。このことはあまり言われていないことだが、②よく考えなければならないことではないか。
( ③ )、そのころ、世界史的に見ると、森林を潰して農耕や牧畜にするところが増えていったが、縄文時代の一万二千年間、ついに私たちの祖先は本格的農耕や牧畜を行わなかったからである。そして本格的農耕や牧畜をやったところは、みな森林を失ったが、日本列島においては森林の再生を前提とする焼畑農耕などは行われたものの、本格的な農耕や牧畜をついにやらなかったために、森林は破壊から免れたのである。
従来、④それは、日本列島の環境条件のせいとされた。島国であるがために、大陸から本格的農耕も牧畜も入らなかった、というのである。しかし、考古学的には、七千年前から五千年前ごろの温暖期に、朝鮮半島を経由して九州の西北岸、とりわけ有明海沿岸に多くの漁労民の移住が見られる。続いて、三千五百年前から千五百前ごろにかけての寒冷期に、ユーラシア大陸の北方民族が南下して日本にやってきている。他にも、東シナ海の航海漁労民も絶えず日本列島各地に足跡を残している。日本は島国とはいえ、縄文時代に国際的交流がなかったわけでは決してないのである。つまり、( ⑤ )わけではなく、また、大陸から入ることができなかったのでもなくて、⑥入ってくるのを私たちの祖先が拒否した、と考えられるのである。そのおかげで日本列島の森林は破壊を免れた、といっていい。
(上田 篤「都市と日本人」<岩波書店>より)
問1 ①「私たちの祖先は……森林を保護しようとしたのであった」とあるが、その内容の説明として最も適当なものはどれか。
1 森林の恵みに感謝し、森林を増やそうとした。
2 森林を潰すような本格的な農耕や牧畜を行わなかった。
3 大陸から本格的な農耕や牧畜が伝わらなかったので、森林は破壊から免れた。
4 農耕を一切行わず、最後まで狩猟採集の生活を守った。
問2 ②「よく考えなければならないことではないか」とあるが、筆者は何について考えなければならないと言っているのか。
1 どうしてマンモスが絶滅したのかということ。
2 森林の恩恵に浴したこと。
3 私たちの祖先が森林を保護しようとしたこと。
4 森林の再生を前提とする焼畑農耕を行ったこと。
問3 ( ③ )にはどの語が入るか。
1 しかし 2 というのは 3 ところで 4 つまり
問4 ④の「それは」は何を指しているか。
1 森林が破壊から免れたこと
2 森林を失ったこと
3 本格的農耕も牧畜も入らなかったこと
4 本格的な農耕や牧畜をしなかったこと
問5 ( ⑤ )にはどの文が入るか。
1 農耕や牧畜を知らなかった 2 農耕や牧畜を知っていた
3 農耕や牧畜をしなかった 4 農耕や牧畜をした
問6 ⑥「入ってくるのを私たちの祖先拒否した」とあるが、日本人の祖先はどうして本格的な農耕や牧畜を拒否したのか。
1 農耕や牧畜をしなくても、森林の恩恵だけで十分生活できたから。
2 農耕や牧畜は、救いの神であり、「母なる森」である森林を壊すことになるから。
3 日本の風土が農耕や牧畜に適していなかったから。
4 農耕や牧畜は、狩猟採集に比べてとても時間や労力がかかるから。