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Mới tìm được mấy bài đọc nghe với chủ đề liên quan văn hóa Nhật Bản.
KARAOKE
Mọi người khắp nơi đi hát karaoke để uống rượu, ca hát và nhảy múa với micro trong tay để có cảm giác như một ca sĩ chuyên nghiệp hoặc để vui vẻ và thư giãn. Karaoke xuất xứ từ nhật bản.

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世界に誇るにっぽん日本の文化、カラオケ

誕生後、わずか30年足らずで1兆円産業にまで発展したカラオケ業界。
今や世界各国至る場所で楽しまれていますよね。
皆さんも1度は「カラオケ」を利用した事、あるのではないでしょうか。
この「カラオケ」、実は日本で誕生したこと、ご存知でしたか?
今回は、カラオケの歴史をご紹介していきましょう。
「カラオケ」の誕生は、1970年代前半に遡ります。
カラオケの原点には諸説ありますが、その中の1つが、ギターアンプとマイク、そしてカーステレオが合体したもの。
それまで、ナイトクラブなど“夜の市場”では、お店ごとにバンドマンが常駐していて、バンド演奏に合わせて歌ったり踊ったり音楽を聴いたりするのが主流でした。
また、音楽を聴くだけなら「レコードプレイヤー」や「ジュークボックス」といった機械が浸透していた時代です。
しかし、聴く為だけではなく、「歌手のように伴奏にのって歌う事が出来る機械」が登場した事で、流行に早い人たちの間ではすぐさま話題になったようです。
アンプによる“エコー機能”によって、今までより歌が上手に聞こえるという所も、人気の理由の1つになったのでしょう。
勿論、バンドマンを何人も抱えるよりコンパクトな設計なのは、人が大勢集まるナイトクラブにとっても嬉しい話しですよね。
その後、様々な形式の「カラオケの原点たち」は、神戸や大阪などの繁華街を中心に、急速に普及していきました。
ただし、これらのカセットの収録は、数曲程度。
手作業でのカセット入れ替えは、さぞかし大変だったでしょうね。
しかし、新しい産業「カラオケ」に目を付けた、家電・音響・カラオケ専門メーカーの技術やアイデアの競争によって機能改良も進み、誕生後10年でカラオケ愛好者も大幅に増えていきました。
ちなみに、「カラオケ」という言葉は、「空のオーケストラ」だという事、ご存知でしたか。
ボーカル、つまり歌の入っていない伴奏部分だけの音楽、という事なんですが、この略語自体も何だか日本らしいと思いませんか?
1980年代初めには、その後のカラオケ文化を大きく変える技術が続々と登場しました。
レーザーディスクやビデオを使用する「映像カラオケ」と「オートチェンジャー」が、それです。
1970年代のカラオケといえば「カセットテープの伴奏に合わせて歌詞カードを見ながら歌うもの」だったとご記憶の方もいらっしゃるでしょうね。
お酒を飲みながら歌を歌いたいけど、マイクと歌詞カードを持つとグラスが持てない・・・とカラオケを遠慮していた方も多かったようです。
また歌詞カードを探すのが手間だ、文字が小さくて読みづらいという欠点もありました。
それが「レーザーカラオケ」の出現で一気に解消されたのです。
「レーザーディスク カラオケ」、通称「える・でぃーLD」は、画面に背景画像や歌詞のテロップが流れ、モニター画面を見て歌えるという、当時としては画期的なシステムでした。
「絵の出るカラオケ」と呼ばれ、お店用だけでなく家庭用の機器もたくさん生まれました。
お酒を飲みながら使用する、「大人の娯楽」というイメージだけではなく、家族で楽しくカラオケをする姿が徐々に見られるようになったのもこの時期です。
また、現在では主流となっている“リモコンによる選曲”が可能な「オートチェンジャー」も、この頃誕生しました。
コンパクトで簡単に操作でき、人間によるカセットの入れ替えなども必要ないこのシステムは、旅館やホテルなどのバンケット市場にも浸透しました。
また、海外へ「カラオケ」の輸出が始まったのもこの頃です。
勿論よいことばかりではなく、1979年、大阪府八尾市で「カラオケ防止騒音条例」が施行されるなど、大きな社会現象も呼び起こしました。
カラオケが浸透しても、「カラオケ」が出来る場所といえば、やはり酒場市場や旅館の大広間などが主流でした。
「知らない人の前でステージにあがって歌う」というシステムの中で、歌う事は好きだけど見知らぬ人の前では恥ずかしくて歌えない、練習しようにも家庭用のカラオケ機器を持っていない…という方もたくさんいらっしゃったと思います。
1985年に生まれた「カラオケボックス」は、そんな人々に嬉しい発明でした。
船舶用コンテナを改造した「屋外型カラオケボックス」が岡山県に登場したのです。
貨物コンテナを再利用した空間の中で、「知り合いだけを前にして歌うカラオケ」が誕生し、その後も発展の一途を遂げます。
不特定多数の人々がカラオケを利用するので、ここでも自動で曲目を選び、演奏してくれる「オートチェンジャー」が重宝されました。
カラオケボックスは、酒場市場、バンケット市場に加え、まったく新しい市場を生みました。
それは「若者層」そして「家族層」。
「カラオケ イコール 大人の娯楽」というイメージが濃かった時代がようやく明け、ジュースを片手に休日の昼間にも手軽に利用できるという印象が強まった時期でもあります。
タンバリンやマラカスといった楽器を使った演出も、楽しい感じがしますよね。
騒音などの問題もあり、郊外を中心に広まったカラオケですが、繁華街やビジネス街などにも防音効果を高めた屋内型の「カラオケボックス」や「カラオケビル」が登場し、全国的なブームを呼び始めました。
1990年代初頭には、ただ単に「歌をうたう」だけではなく、歌の採点機や照明システム、拍手やハモリ機能、カロリー計算機能など、歌を盛り上げる為の機能も登場しました。
1992年に、現在主流のシステム、通信カラオケ」が登場しました。
曲数の多さや新譜リリースの早さなどが好評で、瞬く間にカラオケ市場に浸透したのです。
カラオケが登場した1970年代には、1つのカセットに数曲しか収録されていなかったものが、現在ではおよそ10万曲の収録曲がカラオケボックスの一室で選ぶことが出来るんです。
高音質の伴奏と高画質の映像、様々な演出をうけながらカラオケを利用する事で、30年前に比べて上手に歌えるようになった、という方もいらっしゃるそうですよ。
もはや映像は当然のように動画ですし、最近では本物のアーティストが出演しているビデオが映し出される事もあります。
アーティストと同じ空間で歌っている、アーティストになった気分で歌えるというのも、通信カラオケの醍醐味の1つかもしれませんね。
2004年9月、アメリカ ハーバード大学で行われた「イグ・ノーベル賞」で、「カラオケ発明者」が「イグ・ノーベル平和賞」を受賞しました。
ユーモアにあふれ、科学への関心を高めた研究に贈られるこの賞ですが、カラオケ発明者への授賞理由は「カラオケを発明し、人々に互いに寛容になる新しい手段を提供した」こと。
受賞したのは、先ほどお話しした、「ギターアンプ・マイク・カーステレオ」を利用してカラオケ機器を作成した、いのうえ だいすけ井上大祐さんです。
受賞式に登場した井上さんは、「人々に歌うことを教えたくてカラオケを発明した」と、ユーモアを交えて語りました。
また、受賞会場では、『I'd Like to Teach the World to Sing』、日本語で「世界に歌うことを教えたい」という曲の“カラオケ”が流れ、会場全体で歌うという、微笑ましい光景も見られました。
「人々を笑わせ、そして考えさせた」研究に贈られるイグ・ノーベル賞。
確かに、カラオケを歌うことで、周りの友達と心を一つにしたり、笑いあったり、様々な気持ちに気付いたり・・・ストレス解消にもなるカラオケには、一種の魔法が備わっているのかもしれませんね。
誕生してから、まだ30年ほどしか経たない「カラオケ」ですが、いつの時代も技術の最先端を走っているといっても過言ではありません。
21世紀を迎える現在でも、カラオケはどんどん進化しています。
家庭用のカラオケ機器の中には、コンパクトなマイク一体型が登場していますし、テレビでは「カラオケ専門チャンネル」が、24時間・様々なジャンルのカラオケビデオを放送しています。
また、携帯電話の画面を見ながら歌うことができる「カラオケコンテンツ」なども好評ですよね。
カラオケは「いつでもどこでも誰でも楽しめる文化」として、私たちの生活に不可欠な、普遍的なものになっています。

これからの進化・発展を期待しながら、皆さんも是非カラオケで楽しんでみてはいかがですか。
今回は「カラオケ」について、ご紹介しました。
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SUMO

Đấu vật Sumo là môn thể thao đặc trưng và là môn võ cổ nhất của Nhật

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日本の国技、「相撲」

日本では、本格的な冬がやってきました。
寒さに負けて、家の中で丸くなっている方も多い季節ですよね。
こんな時は、おうちで気軽に「日本のスポーツ」を鑑賞するのも楽しいかもしれません。
皆さんは「相撲」が日本の国技だとご存知でしたか?
今回は、日本文化の代表として、海外での評価も高い日本の国技、「相撲」についてお話ししたいと思います。
相撲は、日本の「国技」というだけでなく、古い日本文化を色濃く残している点でも人々に親しまれています。
相撲ならではの作法やしきたりは様々な意味を持ち、いにしえの日本を想像させます。
単に強い弱いを決めるだけでなく、そこには格式を重んじる心があるところが,、相撲の大きな魅力のひとつでしょう。
現在は「大相撲」というプロスポーツとして華やかな舞台にありますが、その歴史は様々な地域文化と密接な関係にありました。
相撲の起源は大変古く、神話の中に登場するほどです。
その当時、「相撲」といえば“力比べ”つまり『格闘技』という認識しかありませんでした。
「相撲」という言葉の語源は諸説ありますが、「争う」という言葉がルーツだと有力視されています。
ここからも当時の相撲がただ単に“力と力のぶつかり合い”だった事が想像できますね。
しかし、8世紀ごろになって宗教文化の色が増し、神様へ供える“神事”として扱われるようになります。
各地の神社などで五穀豊穣を占う為に相撲大会が行われましたが、この行事は現在でもたくさんの地域で受け継がれています。
12世紀には武士がたしなむ“武芸”として相撲が嗜まれるようになりました。
これは心身の鍛錬の為に使われ、刀などと共に武術の1つとして考えられていたようです。
18世紀になると相撲はまた意味合いを変え、“芸能”として扱われるようになります。
お寺や神社などで“相撲興行”にお金を払い、地元の花形力士を応援する町民たち。
真剣勝負だけではなく「芸能」としての相撲文化、そして職業・スポーツとしての「力士」の文化は、この時期に形成されたといわれています。
こうして、剣術や弓術など、純粋に敵を倒したり身を守ったりする事を目的とした武術とは一線を画した「相撲文化」が誕生しました。
では次に、相撲のルールについて、簡単にご説明していきましょう。
「取り組み」と呼ばれる相撲の試合は、丸い円状に作られた「土俵」で行われます。
試合に出るのは1試合につき「力士」と呼ばれる男性2人。
長細い布で出来た「まわし」を下半身にしめただけの姿で、勝負に挑みます。
取り組みの時には、テーピングなど怪我の手当てに使用しているものを除き、「まわし」以外のものを着用する事が禁止されています。
また、現在でも武士と同じような髪形をしているのも特徴ですよね。
長く伸ばした髪の毛で“まげ髷”を結い、びんつけあぶら鬢付け油で固め、勇ましい姿を見せてくれます。
代表的な髪型に「大銀杏」というスタイルがありますが、これは髷の先がイチョウの葉っぱの形に似ている事から名づけられました。
こういった細かい所にも、日本の文化が脈々と流れているんですね。
「力士」の中にもクラスがあり、下から順に序ノ口・序二段・三段目・幕下・十両・幕内と分けられています。
これら全てを「力士」と呼びますが、十両から上の力士は「関取」と呼ばれ、先ほどご紹介した「大銀杏」が結えるのはこの「関取」だけの特権なんです。
また、取り組み前に行われる「土俵入り」 などで“化粧回し”をする事も許されます。
これは、金糸や銀糸で刺繍された豪華な前垂れで、最近ではライティングを施したものもあり、取り組み前の会場の雰囲気を、そして力士たちやお客様の気持ちを一気に盛り上げます。
さらに、幕内の中でも前頭・小結・関脇・大関・横綱と分かれており、横綱になれば相撲の頂点に立ったともいえるでしょう。
「横綱」というのは、本来は腰に巻く太い綱の事で、強い者だけに与えられる称号でした。
それにちなんで格付けの最上位も「横綱」と呼ぶようになったのです。
横綱はただ強いだけではなく、年齢に関わらず風格や威厳をも兼ね備える人格者がならなければならない、というルールもあります。
力士にとって髷を結うことは夢。
更に綱をしめること、すなわち横綱になることが最大の目標となるんですね。
相撲の取り組みは、東と西に分かれた力士が、それぞれ紹介されながら土俵にあがります。
塩でお清めをした後、審判の1人である“行司”の掛け声と共に、取り組みが始まるのです。
「はっけよい」や「のこった、のこった」といった言葉にも耳なじみがありますよね。
基本的に格下のクラスから取り組みが始まり、横綱など強いクラスの取り組みで終了します。
また、注目力士同士の取り組みには「懸賞」という報奨金がかかります。
力士が土俵に上がった時、呼び出しがスポンサー名のはいった旗状の「垂れ幕」を持って土俵のまわりを一周します。
この垂れ幕が「懸賞」で、その勝負に勝った力士がもらう事になっています。
懸賞が多ければ多いほど、その取り組みは注目されているという事で力士たちにも気合いが入りますし、艶やかな懸賞の垂れ幕は、見ている方も興奮の度合いも増します。
こういった所も、「力比べ」と「芸能」の文化が混ざり合った「相撲」ならではの習慣といえますね。
では最後に、力士に欠かせない食べ物、「チャンコ」についてお話ししましょう。
皆さんも「チャンコ鍋」という料理を食べた事があるかもしれませんが、実は「チャンコ」は、力士が食べるものすべてを指す言葉なんです。
カレーも刺身も、すべてが「チャンコ」なんですね。
言葉の由来は諸説ありますが、「チャン」と「子」、つまり「親子の鍋」というのが有力です。
大相撲の力士は、相撲部屋の“親方”に弟子入りする事が義務付けられています。
親方と弟子、つまり親子のような関係で食べるから「チャンコ」だと言われています。
もちろん、野菜や肉をまんべんなく、そしてたくさん食べる事の出来る“チャンコ鍋”は、相撲部屋のメニューの1つです。
部屋によって味や具材は様々ですが、基本的には味噌・しょうゆ・水炊きの3種類がベースになっています。
毎日のように食べるので、キムチ・にんにく・豆乳だしにカレー味と、バリエーションもたくさんあるんですよ。
見た目もキレイで味も抜群。健康的な体を作る事もでき、団欒を楽しめる。
「チャンコ鍋」が一般に浸透した事が納得出来る料理ですよね。
格闘技として、芸能として、食文化の1つとして・・・
相撲は日本の文化に合わせて成長・発展し、現在も日本の人々の文化に根付いています。

この冬は、「チャンコ鍋」を囲みながらテレビで相撲観戦も良いかもしれませんね。
今回は、日本の国技、「相撲」についてお話ししました。
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Các tháng của Nhật

Cũng có 12 tháng, bắt đầu từ ichi gatsu

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日本の12ヶ月、「わふうげつめい和風月名」

皆さんは「和風月名」という言葉をお聞きになった事がありますか?
現在では1月、2月…と、単に数字で呼ぶことが多くなった12ヶ月ですが、1ヶ月毎の呼び方にもにっぽん日本特有の呼び方があるんです。
それが「和風月名」、つまり『日本風・1ヶ月の名前』なんですよ。
今回は「和風月名」についてご紹介します。
元々、わふうげつめい和風月名は、気候や祭事などに関連してつけられたものが多く、日本の四季折々を上手に表現している言葉です。
しかし、これは旧暦に合わせた名称なんです。
旧暦とは、1873年まで使われていた日本独特の暦のこと。
現在のカレンダーと比べて1ヶ月から2ヶ月ほど季節がずれているのですが、今でも月の順番に固定して使われています。
さて、和風月名の最初を飾るのが、1月こと、「睦月」。
正月や冬の寒い時に、家族や友人が睦まじく集まるので「睦月」と呼ばれるようになりました。
「睦まじい」とは「仲がよい」という意味です。
「睦月」という言葉を聴いただけで、温かい団欒の様子が伺えます。
2月は「如月」といいます。
この月はまだまだ寒さが続くので、たくさんの衣類を着込まなければなりません。
“更に重ね着が必要な月”だから「衣更着(いさらぎ)」となり、この言葉が転じて「如月」と呼ばれるようになりました。
また、「冬の衣服を着替える頃」という意味もあるようです。
3月は、春の若草がいよいよ芽吹く時期。
昔の言葉で“きくさ いやおい茂る(木草 弥生茂る)”と言う所から、「弥生」と呼ばれています。
寒い冬が終わり、春を目指して、草木が生長し始める、という意味です。
4月は「卯」という植物に花が咲くから「卯月」だという説もありますが、卯の花の名前は卯月に咲くから付いた、との言い伝えもありますから、どちらが先なのかハッキリしません。
実は、昔は年も月も日も十二支にあてはめて呼ぶ習慣がありました。
十二支は子・丑・寅・卯…と数える、と、以前にお話ししましたよね。そこから、4番目の月なので「卯月」と呼ばれるようになった、とも言われています。
5月の古い呼び方「皐月」の起源も、様々な理由が考えられています。
多く語られているのは、早苗、つまり田んぼに小さな苗を植える月だから「早月」になったという説。
また、「サ」という言葉は、田んぼの神様を意味する事もあるので「田の神の月」ではないかとも言われているようです。
6月の和風月名については、まったく逆の意味を持つ2つの説が伝えられています。
「水無月」というこの月は、旧暦では梅雨が終わる時期をさしていました。
気温もだんだんあがり、暑くて水が涸れて無くなってしまう月として「水無月」となった、という説と、「水の月」、つまり「水がたくさんある月」だとする説があるんです。
確かにこの時期には、今でも田んぼに水が豊かに張られているので、「水がたくさんある月」と考える方がシックリくるかもしれませんね。

今回は、1月から6月までの「和風月名」についてお話ししました。
次回は7月から12月までの「和風月名」をご紹介していきます。

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Tháng 2

Tháng 2

Tháng hai ở nhật lạnh nhất trong năm.

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「わふうげつめい和風月名」その2

睦月・如月・弥生・卯月・皐月・水無月。
前回は、日本古来の月の呼び方、「和風月名」の中から、1月から6月までをご紹介しました。
今回も引き続き、7月から12月までの「和風月名」をご紹介していきましょう。
日本の変化ある1年間にシックリと合う、1ヶ月の名前を是非覚えてくださいね。
今回は、まず7月の「和風月名」をご紹介しましょう。
7月は「フミヅキ」、または「フヅキ」と言います(文月)。
7月のにっぽん日本文化の1つに、「七夕」といって、短冊に詩歌や願い事を書き、天に願いを託す風習があります。
これにちなんで、「文章を書く月」だと言われるようになったようです。
また、田んぼで稲穂が膨らみ始める月として、「ほふくみつき月」「ほみづき穂見月」から転じたとも伝えられています。
8月の和風月名は「葉月」。
現在、日本の8月といえば真夏の暑い盛りですが、旧暦では秋の真ん中にあたります。
この時期には木の葉が散り始めるので「葉落ち月」と呼ばれるようになり、そこから「葉月」という名前がついたと言われています。
9月は「ながつき長月」と呼ばれています。
秋を代表する1ヶ月で、夜長月ともいい、季節的に昼より夜の時間が長くなること、それによって稲が成熟期に入り、稲穂を長く伸ばすことを「長月」という言葉で表しています。
現在では「秋の夜長」といって、夜が長くなる9月はユッタリ映画を見たり本を読んだりするなど、いつもよりリラックスした時間が“長く持てる月”だとも言われているんですよ。
10月の和風月名「神無月」も、6月と同様にあいはん相反する意味が伝えられています。
その昔、にっぽん日本全国には800万もの神様が各地に住んでいました。
神様たちは、毎年10月になると島根県の出雲大社に集まり、大きな会合を開いていたんだそうです。
ですから、10月は日本各地に神様がいなくなる月だと考えられていたんですね。
ここから、神様のいない月、「神無月」と呼ばれるようになったという説が生まれたようです。
また、この時期は稲を刈り取る時期でもあります。
新しい米を神に捧げる「かんなめ神嘗」というお祭りの後、米の神様は天に帰ってしまうと考えられていました。
「神嘗」「神が居ない」という言葉から「神無月」と呼ばれるようになったという説も伝えられています。
「霜月」と呼ばれる11月は、旧暦では寒さに凍える時期でした。
そこから、霜が降り始める月だと呼ばれるようになりました。
さて、1年の最後の月、12月は「師走」と呼ばれています。
日本の古くからの風習で、年の暮れになると、家ごとにお坊さんを迎えて仏事を行います。
お坊さんはお寺でも1番偉い人。
いわゆる「師匠」と呼ばれる人です。
そこから、「師はせ月」、つまり「師匠が走る月」となり、転じて「師走」という言葉が出来たそうです。

日本独特の豊かな季節感から生まれた「和風月名」。
この機会に覚えて、風流な1年を過ごしてみてはいかがですか。
今回は「和風月名」についてお話ししました。

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Re: Tháng 2

OHASHI

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和食になくてはならない道具、「お箸」

皆さんは、お箸を正しく使うことが出来ますか?
何年使ってもうまく使えない、お箸の使い方が上手になったら、色々な食材が食べやすくなった、そんな方もいらっしゃると思います。
「お箸の文化」を持つ地域は、中国や朝鮮半島、ヴェトナムなど東南アジアの一部、そしてにっぽん日本。
お土産で珍しい形のお箸をもらったことがある、という方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、お箸の種類や使われ方は地域や時代によって様々です。
今回は「日本のお箸」についてご紹介していきたいと思います。
日本のお箸は、日本の原典「古事記」にも書かれているほど古い文化ですが、もともとお箸が生まれたのは、中国や朝鮮半島だといわれています。
原始時代、火を使うようになった人間が、料理を作る道具として、また熱い料理を食べる為に作ったということなんです。
お箸が日本に伝来されたのは、紀元前のこと。
当時のお箸は今のように2本に分かれておらず、細く削った竹をピンセットのように折り曲げたものだったといわれています。
「箸」という漢字に「たけかんむり」がついているのも、この事に由来するんですね。
また、最初は「神様が使う道具」、神器として海を渡ってきました。
古事記の中には「箸は口に運ぶ先は人のもの、もう片方の端は神様のもの」といった記述も見られます。
お箸には神様が降りてくると考えられていたんですね。
お箸が日本で一般の食事に使われるようになったのは、7世紀の初めです。
そして、日本で初めてお箸を食事に使ったのは、古い紙幣の肖像でもおなじみ、聖徳太子だったんです。
当時、聖徳太子は、隋の時代の中国大陸へ使節団を送りました。
そこで使節団は隋王朝の人々に歓迎を受けたのですが、王朝の人たちが箸を使って食事をしているのを見て大変驚いたそうです。
ピンセットの形から2本1組の現在と同じ形式に変わっていたとはいえ、当時まだ日本でのお箸の位置は「神器」であり、一般の食事では使っていなかったからです。
日本に戻った使節団から報告を受けた聖徳太子も、その話を聞いて驚きました。
そして、隋の国の使節団を日本に招待する時のために、大急ぎで箸を使った食事の作法を朝廷の人々に習わせた、ということです。
ここから、日本で食事にお箸を使う風習が始まりました。
当初は貴族たちに広まり、徐々に一般市民へと広まった「お箸を使った食事作法」。
お箸の種類も竹だけでなく、木製のもの、神事に使う為の銀製のものも生まれ始めました。
様々な種類のお箸が出回り始めたのは、18世紀、江戸時代の頃からです。
それまで、ただ単に竹や木などで作られていたお箸に「塗りばし箸」という種類が加わり、普及していきました。
各地の地場産業として「漆塗り」の器が発展してきたのが、広まった理由です。
ほとんどの漆器の産地がこの時代に興り、それと同時に塗り箸も多様化しました。
塗り箸は、漆をていねいに塗り重ねているので、表面がツルツルしています。
このため、木や竹で作られたシンプルなものと比べて丈夫であるとともに、表面に汚れがつきにくく、常に清潔感のあるお箸だといえます。
また、見た目にも美しい事が評判となりました。
江戸時代の末期になると、裕福な町人や商人、武士などが、自分のステータスとして塗り箸を使い始めました。
街角で「お箸自慢大会」が催されていたのかもしれませんね。
さて、皆さんが外食などで使っている「割り箸」についてお話ししましょう。
この「割り箸」、ルーツは意外と新しく、塗り箸が生まれたのと同じくらいの時期なんです。
そもそも、お箸は使い切りが常識でした。
お箸が日本に伝わった頃、お箸は神様と一緒に食事をするための「神器」であり、神事に終わればそのたびに新調していたので、何度もくり返し使う物ではなかったのです。
反復して使う日常の道具として定着したのは12世紀頃ですが、その後、現在の東京、江戸と呼ばれる地域で「使いきりばし箸」が作られるようになりました。
おそば屋さんや鰻屋さんなど、外食産業が盛んになった18世紀、お店では中身がなくなった“酒樽”の処理に困ってしまいます。
そこで、樽の端材を利用した使い捨てる事が出来るお箸がたくさん作られるようになりました。
これが、現在の割り箸のルーツなんです。
神聖な意味だった使い捨てから、お客様サービスといった意味での使い捨て箸が生まれたんですね。
「引き裂きばし箸」と呼ばれたこのお箸は、清潔好きの江戸庶民に大変喜ばれていたそうです。
現在のような一膳を割って使う「割り箸」が誕生したのは、19世紀の終わり。
奈良県の教師である島本忠雄氏によって開発されました。
この「割り箸」の利点は、「一膳のお箸がばらけない」ということ。
酒樽を引き裂いて作った以前の「使いきり箸」は、長さや太さが違うことが多く、不便でした。
適当に箸を2本とってそれで1膳、というわけにはいかなかったのです。
しかし、島本氏の開発した「割り箸」は最初から一膳が一組になっていて、使う時に“割る”ので、同じ長さのお箸がいつでも見つかり使いやすいという点で、大変人気を呼びました。
北海道での工場生産が成功した事で、割り箸は全国に広がりをみせ、20世紀初頭には「衛生箸」という名前で広く利用されるようになったのです。
現在、日本国内の割り箸消費量は、年間250億膳ともいわれています。
1人あたりの年間消費量もおよそ200膳以上にもなるんですね。
1度使ったら捨ててしまうという観点から、森林破壊など環境問題への懸念もありますが、自然への還元活動も積極的に行われており、私たちの食生活に欠かせない役割を担っています。
長い歴史を経て現在まで続く「お箸の文化」ですが、「日本のお箸」には他の地域とは異なる、いくつかの特徴があります。
まず、中国の箸よりも短く、先が細くなっていて、食べ物を摘みやすく作られている事。
これは、“小さな豆でもつかめる”ほど器用に食材を扱える、優れた特徴の1つです。
また、素材としては木製やプラスティック製など軽いものが好まれていて、高価なものは漆塗りや蒔絵など豪奢な細工が施されている事も挙げられます。
もちろん、形ばかりでなく、種類にも様々なバリエーションがあります。
料理を作る時に使う「菜箸」、大皿から料理を分ける為の「取り箸」。
持ち運びに便利な「携帯用折り畳み箸」や、持ち方の矯正用「しつけ箸」なども便利ですよね。
先ほどご紹介した「割り箸」の種類だけでも、100種類を超えるというから驚きです。
豆腐用やうどん用、納豆用から刺身用まで、食材に合わせて形状が異なるのも、日本のお箸の特徴です。
そして、1番の特徴は、家庭で自分専用の「お箸」が決まっている事なんです。
日本以外の地域では、家庭で個人専用のスプーンやフォークを決める事はないようですし、同じお箸の文化を持つアジア諸国でも、いくつかの箸をみんなで共用しています。
自分用の箸が決まっているのは、世界中で日本だけに見られる風習なんですね。
男性用・女性用・子供用など、体格によってお箸の長さや重さなどが変わるのは、世界的にも珍しい事なんだそうですよ。
やはり、自分専用のお箸で頂く食事は、日本人に「家に帰った安心感」を覚えさせてくれるのではないでしょうか。
「箸が転んでも可笑しい年頃」「箸の上げ下ろし」など、たくさんの慣用句に使われている「お箸」。
これからも日本の食文化の一端を担い続けていくことでしょう。

皆さんも是非、自分に合った「日本のお箸」を見つけて、使ってみてはいかがでしょうか。
今回は、「日本のお箸」についてご紹介しました。

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penguin20110

New Member
Mình post tiếp một số bài theo chủ đề này nhé.
Bài tiếp theo giới thiệu về 7 vị thần mang lại hạnh phúc.

Link: http://db1.voiceblog.jp/data/nippon/20222.mp3

幸福を呼ぶ「七福神」

えべっさん、大黒さん、弁天(べんてん)さん…関西地方では特に身近に呼ばれる、この名前。
「七福神(しちふくじん)」は、庶民文化(しょみんぶんか)の頂点に立っている神様たちです。
今回は「七福神」についてお話ししていきましょう。

「七福神」は、簡単にいうと「幸福を呼ぶ、7人の神様たち」の事。18世紀頃、幸福が来るよう七福神にお祈りする祭事が京都で始まってから全国に広まっていったようです。さて、この七福神には、恵比寿神(えびすじん)、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、福禄寿神(ふくろくじゅじん)、寿老神(じゅろうじん)、布袋尊(ほていそん)という神様がいますが、七福神は最初から集まっていたわけではないんです。福禄寿神、寿老神、そして布袋尊は中国、大黒天と毘沙門天、弁財天はインドからやって来た神様です。唯一、恵比寿神だけが日本古来(こらい)の神様なんです。これは、仏教の教えや中国の伝説など、有難い(ありがたい)お話しの中で聖なる数字として「7」が使われていた事から、7人の神様が集められたのではないかと考えられています。では、七福神のキャラクターをそれぞれご紹介していきましょう。

まず初めは「恵比寿神」。関西地方では「えべっさん」という愛称で呼ばれています。今では商売繁盛(はんじょう)の守り神さまとして、有名ですね!釣竿と鯛を持っているのは、本来、大漁をもたらしてくれる漁業の神様だからなんですよ。日本列島を作ったイザナギ・イザナミの子供で、日本古来の神様のようです。次にご紹介するのは「大黒天(だいこくてん)」。恵比寿神と並び、馴染み深い(なじみぶかい)神様です。家族の主を「大黒柱」とも言いますが、これはその家を支える一番大きな柱の事で、昔はそこに大黒様を祀っていた(まつっていた)からなんです。農業の神様でもあり、庶民の台所を守る神様でもあります。中国から日本に伝えられたそうですが、元々はインドのシヴァという戦闘の神様の化身で、大変こわい顔だったそうです。今では俵に乗り、小槌を持ったニコニコ顔が印象的です。続いては、唯一の女神(めがみ)、「弁財天」です。
元来はインドの水の神様なので、日本でもよく水辺に祀られています。手に持っているのは琵琶(びわ)という楽器で、音楽や芸能の神様としても信仰されているんですよ。4番目にご紹介するのは「布袋尊」、通称「布袋さん」です。布袋さんは、七福神唯一の実在した人物です。中国の契此(かいし)というお坊さんがモデルになっていて、ぽってりとした太鼓腹(たいこばら)にニコニコ顔、外に出るときはいつも大きな袋をかついで貰ったものは袋に何でもいれるので"布袋"という名前が付いたそうです。物事にこだわらない風貌や行いから、夫婦円満・財宝賦与の神様として祀られる(まつられる)ようになったそうです。 続いては毘沙門天をご紹介しましょう。ニコニコしている他の6人とは別に、鎧(よろい)をかぶり、睨み付けている(にらみつけている)ような風貌(ふうぼう)をしています。インドから渡来(とらい)した武勇の神様で、大きな願いをかなえてくれたり、災難を退け(しりぞけ)良い運命に導いてくれる神様です。次にご紹介するのは「福禄寿」です。とてつもなく長く大きい頭、背が低くてアゴひげ髭をたくわえた福録寿は、年齢1千万年を数えるという中国の仙人(せんにん)です。幸福をもたらし、給料を増やし、長寿を与えてくれるという3つの徳を持っている所から「福・禄・寿」という名前がついたそうです。7人目にご紹介するのは「寿老人(じゅろうじん)」です。実は、モチーフとなったのは“福禄寿”と同じ仙人なんです。この仙人は「南極星」という星の神様なのですが、南極星は大変おめでたい星で寿命(じゅみょう)を支配する星として信じていたので、寿老人は特に長寿をもたらしてくれる神様のようです。足元にいる黒い鹿(しか)は1500歳とも言われており、長寿(ちょうじゅ)の象徴なんですよ。

日本各地で盛大に行われる「七福神」に関するお祭り。それぞれの思いを託して(たくして)、皆さんも七福神をお参りしてはいかがですか。今回は「七福神」についてお話ししました。

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Bài tiếp nữa nhé.

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<日本の文化>日本の“包む文化”「風呂敷」

皆さんは、手荷物を運ぶ時、どのような道具を使いますか?普通ならば、カバンや袋を使いますよね。日本では、古来より「風呂敷(ふろしき)」という正方形の布(ぬの)を使っています。現在でも冠婚葬祭(かんこんそうさい)や旅行など、荷物を「包む(つつむ)」場面では、風呂敷が使われる事が多くあるんですよ。今回は「風呂敷」についてご紹介します。
 「風呂敷」は、簡単に言うならば“正方形の布”。風呂敷の歴史が始まってから現在に至るまで、形や使用方法の変化は、あまり見られません。様々な荷物を包んで、運んだり保存したりする為に使います。
書物(しょもつ)に「風呂敷」の起源が登場するのは、8世紀ごろ。「古路毛都々美(ころもつつみ)」という、衣類などを包む道具があったようですが、この頃はまだ「風呂敷」という名称ではありませんでした。この道具の事を「風呂敷」と呼び始めたのは、15世紀中ごろからです。時の将軍(しょうぐん)・足利義満が、大湯殿(おおゆどの)、つまり大名専用の大きな風呂を建てた時、大名(だいみょう)たちは脱いだ衣服を家紋入りの絹布に包み、他人の荷物と紛れないようにし、風呂からあがってからはこの絹布(けんぷ)の上で身繕い(みづくろい)をした、という記録が残っています。また、この頃の風呂は蒸気風呂なので、蒸気を拡散し室内の温度を平均化するために、床にはムシロやスノコ、布などを敷いていました。これが、風呂敷の原点だと言われています。
 17世紀の初めには、一般大衆(たいしゅう)も入る事の出来る「銭湯」が誕生しました。人々は手拭い(てぬぐい)や着替えなどを四角い布に包み銭湯へ通うようになりました。荷物がバラバラにならないので、持ち運びに便利だったんですね。こうして、風呂の道具を”風呂に敷く布”のようなもので包むようになり、その四角い包み布の事を”風呂敷包み”と呼ぶようになった、と考えられています。
 「風呂へ行く為の道具」という枠を抜け出した“風呂敷”は、 荷物を包んで運びやすい事から、行商や旅行、お嫁入り(よめいり)など様々なシーンで活躍し、発展していきました。
風呂敷は用途に合わせてサイズを選びます。色や柄、素材などは様々で、着物のような柄が一般的ですが、最近ではアニメキャラクターの絵がついた風呂敷も発売されています。また、包み方にも様々なバリエーションがあります。正方形の布ですから、四角い物を包むのは勿論のこと、酒瓶(さかびん)やお人形など、いろんな形の物を持ちやすく運ぶ事が出来ます。また、日本特有の風情(ふぜい)を醸し(かもし)出してくれる事が、現在でも風呂敷が重宝されているゆえん所以です。
 世界各国では様々な用途で正方形の布が使われています。それは民族衣装だったりベッドカバーだったり、首などに巻くスカーフとしても大活躍です。しかし、包む文化を現在まで残しているのは世界の中でも日本の風呂敷が代表選手なんですよ。現在では、物を運ぶ用途は勿論の事、そのすばらしい色彩から部屋のデコレーションに使われる事も多くなった「風呂敷」。
 皆さんも1度使ってみて、その美しさ・使いやすさを体感してくださいね。今回は「風呂敷」についてお話ししました。

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Bài cuối trong tuần này. Tuần sau mình sẽ post tiếp một số bài nữa.

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女の子の節句「ひなまつり」

3月3日は「桃(もも)の節句」。「ひなまつりの日」とも呼ばれます。これは「女の子の節句の日」で、女の子のいる家庭では、ひな人形を飾ったり、菱餅(ひしもち)を食べたりして1年間の無事を祝い、また「これから1年間、ケガも病気もないようにスクスク育ちますように」とお祈りをします。今回は「ひなまつり」についてお話ししていきましょう。
 日本には色々な「季節の区切り(くぎり)」があり、以前お話しした「節分」も、その1つです。今回お話しする「ひなまつり」が行われる桃の節句は、1月1日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日と並ぶ「五節句(ごせっく)」の1つ。 もともとは桃の花が咲く頃、魔よけ(まよけ)の意味を持つ桃の花を見たり、桃のお酒を飲みながら無病息災(むびょうそくさい)を願っていました。この時に、人の穢れ(けがれ)や災い(わざわい)などを人形に移してお祓い(おはらい)をしていた事が「ひなまつり」の起源になります。17世紀ごろから、桃の花の色が可愛らしい事、人形遊びをするのは女の子が多いという事から「桃の節句」イコール「ひな祭りの日」イコール「女の子の行事」となっていったようです。
 ひなまつりの日には、家の中に特別な人形「ひな人形」を飾り、ひなまつり特有の食べ物でお祝いします。ひな人形には色々なサイズがありますが、もっとも豪華(ごうか)なのが、7段もある飾り段に15体(たい)のひな人形と調度品を並べるひな飾りです。 これは、最上段に座った男女1対(いっつい)の人形の結婚式を表現したもので、最上段の「お内裏様(おだいりさま)」「お雛様(おひなさま)」の他に、お祝いの曲を演奏する「五人囃子(ごにんばやし)」やお料理の用意をする「三人官女(かんじょ)」、ガードマン役の「右大臣(うだいじん)と左大臣(さだいじん)」など、それぞれの人形が役割を持っています。金屏風(きんびょうぶ)を背景にしたお内裏様とお雛様の隣には、「桃の節句」らしく桃の花を中心に色々な花が並べられます。他にも「嫁入り道具」としてタンスや重箱などの調度品も一緒に飾られるんですよ。その中でも、ひなまつりに欠かせないのが昔の照明器具、「ぼんぼり」。和紙を通してほのかに揺れる明かりの中で、まだ肌寒い春の訪れを待つ姿は、日本らしい風情(ふぜい)が溢れています(あふれています)。
 さて、ひなまつり定番の食べ物といえば、「菱餅(ひしもち)」です。これは、名前の通り菱形(ひしがた)をした餅で、心臓をかたどったものだと言われています。一般的に上から桃色、白、緑と重ねて飾られ、桃色は桃の花、白は雪、緑は芽吹き(めぶき)が表現されています。餅は古来より魔よけ(まよけ)の意味を持っていますし、それぞれの色餅はクチナシやヨモギといった体に良い食材から作られています。菱餅は単にキレイだから飾られるわけではなく、飾ったり食べたりする事によって、魔よけにもなるし健康にもなれるという、一人三役のアイテムなんですよ。
 このように豪奢(ごうしゃ)で立派なひな飾りですが、最近ではスペースや少子化などの問題で、今までになかった形のひな人形がたくさん登場しています。コンパクトというだけなら、お内裏様とお雛様、2体のみのシンプルなひな飾りもありますが、現在人気が高いのがインテリアとして飾れるひな人形です。壁に吊るす(つるす)タイプや漫画キャラクターを使ったもの、手のひらに乗るようなサイズのひな人形など種類も豊富で、季節を問わずインテリアとして飾る事が出来るのも魅力の1つです。日本独特の優美な行事の1つ、ひなまつり。
 桃色の香りと飾りに囲まれて春の行事を楽しんでみてはいかがでしょうか。今回は「ひなまつり」についてお話ししました。

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penguin20110

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自然を楽しむ日本の文化「花見」

 新しい年度がはじまりました。新たな門出を迎える人、また春の陽気とともに気分をリフレッシュさせる人など、それぞれの春を迎えていることでしょう。今回は、桜の木の下でお酒を飲みながらドンチャン騒ぎをするという日本の花見文化についてお話していきましょう。

 「花」の鑑賞、花の下での「飲食」、大勢で楽しみ・騒ぐ「群集」の3つの要素を併せ持つ日本独特の文化である花見は安土桃山時代、秀吉の吉野、醍醐(だいご)の豪華絢爛な宴を頂点として、広く行われました。秀吉は文禄3年2月25日、京を出発し文禄3年2月27日吉野山に到着。それから5日間、歌を詠み能を舞い、吉野山の桜を楽しんだといわれています。秀吉は醍醐寺(だいごじ)の三宝院(さんぼういん)の景観をことのほか愛し、春になるとこの地で観桜(かんおう)の宴を開きました。そのため、秀吉が近隣諸国の近江、山城、河内、大和から取り寄せた桜700本を移植したと言われています。現在も醍醐寺にその桜は見事に花を咲かせているんですよ。庶民が花見に熱狂するようになったのは江戸時代からで、それまでは上流社会だけの文化でした。江戸の桜は殆ど奈良県の吉野山から移植したもので、家康、秀忠、家光など花好きの将軍によって植栽が盛んに行われ、参勤交代で江戸は品種交流の場ともなり数々の名所も出来、花見は一般化して行きました。
花見といえばおもに桜となり、山野の花見は桜狩りと称して、時代が降るにつれ、花見は公家から武家、近世には都市住民のものとなり、今日に至っています。

 なぜ日本人は春になると桜の下でお花見をし、お酒を飲みごちそうを食べたくなるのでしょうか?古代日本人は、 山の神様と言われるサ神様にいろいろ祈願しますのに、 ただでは申しわけありませんから、まず、くさぐさのお供え物をしました。その、最も欠かせない重要なものが 「酒」です。神前に捧げる意味があります。サカナやサケ菜(山のもの、野のもの)も同じ、サカナ(肴)、サ神様に、お供えするものの、意味です。神様へのお供えものを、 ササゲモノともいいますが、これは、 『サ神』が 下げ渡すものというのが、原意でした。現在、 ササゲル(捧げる)という動詞は、下から上に向かって さし上げる感がしますが、人間たちが神にいくらお供物を上げたところで、神は、気持ちだけ受け取って、 実際には、飲食しないで結局人々に下げてしまう形になります。人々はそれを知っていて、お供物を神にあげている中に、いつか原意は逆転して しまったのです。サクラとは、古語で、神霊(しんれい)が依り鎮まる座(よりしずまるざ)を意味した クラと伝えられています。イワクラ(磐座)や タカミクラ(高御座)などの例もあるんですよ。もう、お分りだとおもいます。 サ神様の依る、 サクラ(サ座・桜)の木の下でサ神様に サケ(酒)やサカナ(サケ菜・肴・魚)を ササゲテ(捧げて) オサガリを、いただくわけなんですね。これが、日本の花見文化のはじまりです。

 現在では全国各地に花見ツアーも開催されていますから、桜名所に参加するのもいいかもしれません。また、今年の桜は3月下旬から4月上旬に開花すると予想されています。

 皆さんも、桜の木の下でお酒を飲みながら、日本の花見を体験されてみてはいかがでしょうか?今回は花見についてお話しました。

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penguin20110

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日本の国民病「花粉症」

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 昔は、温かい春を待ち遠しく思っている人が、にっぽん日本にはたくさんいました。しかし、近年、春になるのが嫌だという人が増えているんです。その原因は、なんといっても「花粉症」。花粉症は、花粉を吸ったり花粉が体に付着したりした時に起こる一種のアレルギーで、季節や国を問わず、たくさんの方を悩ませていると思います。しかし、日本の花粉症最盛期は春なんです。新しい年が明け、植物の成長が活発になってくると、様々なメディアでは一斉に「花粉症対策」についての報道を始め、人々は「花粉症対策」に走り始めます。今回は日本の「花粉症」とその対策についてご紹介していきましょう。

 もともと、花粉症の発見は19世紀のイギリスにさかのぼります。日本では、1961年に花粉症の報告がされて以来、花粉症で悩む人が年々増えています。体質や環境の変化も伴って、今では人口のおよそ15パーセントの人が、花粉症なのではないかと言われているんですよ。日本列島は、山が多く南北に長い事も影響して、様々な植物が生息しています。そのため花粉症の種類も多く、なんと60種類以上を超える花粉症が報告されているんです。その中でも代表的なのは “スギ花粉”による花粉症です。スギは日本固有の植物であり、高さ50メートル以上にも成長する樹木の一種で、2月から4月にかけて花粉を飛散します。日本の植物を代表するほど本数の多いスギから飛ばされる花粉量は大変多い為、「スギ花粉症」は、花粉症患者の原因のおよそ80パーセントも占めているんですよ。また、「スギ花粉症」は、アメリカのブタクサや、ヨーロッパ各国のイネ科植物が原因の花粉症と並び、「世界三大花粉症」の1つだとも言われています。
 
 花粉症を発症すると、クシャミ・鼻水・鼻づまり・目のかゆみなどの症状が起こりますが、花粉症はいきなり発症することもありますから、 日々の生活管理が大変重要になってきています。ここ数年、日本の「花粉症対策グッズ」はどんどん充実してきました。毎年、新しいアイテムも続々と登場していますので、いくつかご紹介していきましょう。花粉症対策用に作られた「マスク」や「メガネ」は、花粉やホコリなどが体内に入らないよう、きっちりガードしてくれます。また、花粉の付着を軽減する素材で作られた衣服や帽子も、よく見かけるようになりました。体内に入ってしまった花粉を落とすための「家庭用温熱吸入器」や屋内に舞う花粉を取る「空気清浄機」なども、花粉症対策の必需品だと言われています。「甜茶(てんちゃ)」や「シソの葉エキス」、ヨーグルトを中心にした「乳酸菌食品」などは、時期を問わず摂取し続けていると花粉症の症状が和らぐ可能性があると言われているため、様々なお店には「花粉症コーナー」が立ち並び、所狭しと並べられています。そして、2005年の花粉症対策の中で、最も注目されているのが「鼻」。鼻の下にクリームを塗ったり吹き付けたりして、 鼻に花粉を入れない事を第一に考えるグッズがたくさん登場していますよ。

 「花粉症」は突然やってくるもの。花粉症の方もそうでない方も、体調管理や予防対策を怠らず、少しでも快適な春を過ごせるようにしたいですね。今回は「日本の花粉症とその対策方法」についてご紹介しました。

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penguin20110

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日本人に愛される飲み物「お茶」

 
美容と健康に良いとされている「お茶」 人々にくつろぎをあたえ、和やかな気持ちにするお茶は国や人や文化に関わりながら 深い歴史を刻んできました。今回は日本の食文化の中から「お茶」をご紹介していきましょう。

 日本の『茶』栽培は、鎌倉時代 栄西(えいさい)禅師が中国より持ち帰った種を、佐賀県せぶりやま脊振山に植えたのが始まりだと言われています。その後、京都のみょうえ明恵じょうにん上人が栄西より茶の実を譲り受け、とがのお栂尾で茶園を開き、全国に広めていきました。 それ以前にも、もともと日本の山間部の奥地に自生していた「さんちゃ山茶」を飲んでいたという節もありますが、はっきりとしたことは分かっていません。ずれにしろ当時のお茶は、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させる『てんちゃ碾茶』で、疲労回復、延命などの薬、上流階級の人々の、社交の道具として飲まれていました。現在のせんちゃ煎茶の形は、江戸時代中期、京都の製茶家:ながたに永谷そうえん宗円が生み出した、日本独自のもの。「もっとおいしいお茶を作りたい!」という日本人の情熱は、旨味を濃縮させる為、陽の光に当てずに育てる『玉露』や『抹茶』。若葉の新鮮さを閉じ込め、茶葉の持つ旨味を最大に引き出す『あおせい青製』など、他の国々には無い独自の『日本茶』を生み出してきました。世界の茶生産事情から見れば、緑茶は全体の20%程。そして日本の茶園面積はたったの3%、生産量は4%。私たちが毎日飲んでいる『日本茶』はとても貴重な『お茶』であり、日本人の知恵と情熱の結晶だったんですね。

 さて、ここでは日本で1番親しまれているお茶「煎茶」のおいしい入れ方をご紹介しましょう。人数分の湯飲みにお湯を8分目ほど入れて約1分ほどさまします。湯飲みで冷ます事によって、煎茶を美味しくいれる約80℃までお湯の温度が下がります。飲みにお湯を入れることで、お湯の分量も一度に量る事が出来るんです。次に、お茶の葉を急須に入れます。3人分で約6gです。少し多めに入れた方が美味しくお茶をいれられます。お茶の味は個人の好みによって違ってきますので、お茶の葉の量を調節して、自分の好みを探すのも楽しいかもしれませんね。湯飲みに入れたお湯を急須につぎます。その後約1分ほど、お茶の葉が開くまで静かに待ちましょう。急須を揺すると、お茶の中の苦みの成分が出ますのでここはじっとがまんします。1分おいた急須から湯飲みに濃淡のないように均等にお茶をつぎます。また、最後の一滴までつぐ事で、二煎目のお茶が美味しくなります。二煎目は、一煎目で栄養や、うま味成分がほとんど出ていますので、熱湯を入れても大丈夫なんですよ。美味しくお茶をいれるために、お茶をいれる水にも注意を配ってみてもいいかもしれませんね。4月下旬から8月上旬にかけて、様々なお茶の摘み取りが行われます。

 みなさんも、自分に合った「お茶」見つけてみては、いかがですか? 今回は「お茶」についてお話しました。

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penguin20110

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Ðề: Đọc nghe... Văn hóa mùi...Nhật bản

端午の節句「子どもの日」

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5月5日は子どもの日です。今日は、端午の節句や鯉のぼりについてお話しましょう。

もともと端午の節句は、悪鬼(あっき)や災厄(さいやく)を祓う(はらう)のが目的で、武家屋敷の塀や門に柵を作り、幟(のぼり)や兜・槍(やり)・なぎなた等を並べている外飾りでしたが、やがて鎧兜を着せた武者人形を飾るようになったそうです。でも庶民は本物の武具などは持っていませんから、最初は厚紙などで兜や剛毅(ごうき)な武者の人形を造り飾っていました。これが五月人形の始まりです。やがて文化の円熟した元禄時代になると、外飾りではなく室内に飾るミニチュアサイズの幟が登場し、同時に弁慶や義経等の史実に残る勇猛な人物の武者人形や疫病から人々を守る鍾馗様(しょうきさま)が盛んに作られ飾られるようになります。この頃から武家と庶民の飾りに差異が無くなり、外飾りではなく室内に飾る内飾りが主流になり、現在に近い形の端午の節句のお祝いの仕方が普及していきました。

 江戸時代になると、幕府が5月5日を重要な日として定めたことから、この風習が庶民にも拡がり、端午の節句を祝うようになりますが、幟旗(のぼりばた)は武士のものでしたから庶民は飾れません。そこで鯉のぼりの登場です。鯉のぼりは、庶民に大人気であっという間に拡がっていきます。鯉のぼりは、中国の登竜門の故事に由来しています。「鯉の滝登り」ってやつですね。黄河の上流の急な流れを鯉が上るということから、鯉は出世魚として考えられ、子供の立身出世の象徴として江戸時代から、盛んに立てられるようになったそうです。また子供が産まれた家では、「この家の子供をお守り下さい」と天の神様に向かって目印に立てたという話もあるんですよ。鯉のぼりの歌にもありますが、鯉のぼりは、黒い真鯉はお父さん、赤い緋鯉(ひごい)はお母さん、青や緑の鯉は子供、というのが定番です。
さて、鯉のぼりの3色ですが、まさに 父・母・子供を表現する色で表されています。黒は、冬で水を表します。五行説(ごぎょうせつ)で言う冬は、堅く閉ざし動かないという季節です。父というものは、安易に変容してはならず、どっしりとしていなくてはなりません。なおかつ水は、全ての生物の、命の源であり必要不可欠なものです。赤は、夏で火を表します。火は万物を生み出す源であり、知恵を象徴する物です。人間は火を手に入れた時から知恵を得、文明を築きだしたと言われています。また夏は次々と生命を育む季節でもあります。まさに母そのものと言ってもいいでしょう。青は、春で木を意味します。全ての生命がのびのびと活動を始める春、そしてすくすくと伸びる木は、子供のあるべき姿そのものです。このように3匹の鯉のぼりは、安定と生命の源の供給、知恵と育成、成長と繁栄いう、平和な家庭に不可欠な要素を表現し、子供達の健やかな成長を守る物とされているのです。
 最近は、核家族化の影響でしょうか、鯉のぼりをあげる庭や場所がないと言うことで、鯉のぼりもコンパクト化が進んでいます。庭に、屋根より高くならないようにあげらるガーデンサイズや、マンションのベランダにあげられるベランダセットなどが盛んに売られていて大変好評のようです。セットなので、風車から吹き流し、ポール、ヒモ、真鯉・緋鯉・青鯉と全部揃っていて、買ってきてすぐにセッティング出来るのが喜ばれているようです。

 昔から、端午の節句に食べるといわれている柏餅と、ちまきがあります。ここでは、その二つの由来についてお話しましょう。柏餅に使われる葉の柏の木は、新芽が出ない限り古い葉が落ちないそうで、このことから家が絶えない、後継者が絶えることがない縁起のいい木として考えられ、柏餅はすでに室町末期頃から、広く食べられていたそうです。でも今と違って中の餡(あん)は、小豆(あずき)のこし餡ではなく味噌餡だったそうです。 一説では、「かしわ」は食物を包んだり食器代わりに用いられていたことから、「炊葉(かしぎば)」の転じた言葉ではないかとも言われています。ちまきは、中国伝来の物で、端午の節句とともに日本に入ってきました。ちまきは、餅米やうるち米を草の葉で包んで蒸した物で、文字通り、茅で包んだ物や笹の葉で巻いた笹ちまきなどがあります。笹には整腸作用があり、やはり薬効あらたかな薬草で包んだ葉をはがすと、餅米が緑に染まりとても綺麗で、健康にいい食べ物として考えられていました。
 5月5日は子どもの日。日本全国ではその日を祝う記念として、様々な、イベントが開催されます。また最近では、子どもの日におもちゃをプレゼントする風習も出来ているようです。子供達が、すくすくと大きく、元気に育って欲しいという願いをこめて、端午の節句を祝いたいものですね。

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Ðề: Đọc nghe... Văn hóa mùi...Nhật bản

Link để nghe bài trên (端午の節句「子どもの日」) nó die mất tiêu rồi, penguin đang có file nghe của bài này hình như là chưa có quyền để attach file thì phải, nhờ admin hướng dẫn giùm nghen.
 

kamikaze

Administrator
Re: Ðề: Đọc nghe... Văn hóa mùi...Nhật bản

Link để nghe bài trên (端午の節句「子どもの日」) nó die mất tiêu rồi, penguin đang có file nghe của bài này hình như là chưa có quyền để attach file thì phải, nhờ admin hướng dẫn giùm nghen.

Vừa mới set quyền cho penguin attach file đấy. Thử attach xem sao. Nếu không biết cách thì kêu chị Dịu mà hỏi nhé.
 

diudang189

*-: a happi-girl :-*
Thành viên BQT
Re: Ðề: Đọc nghe... Văn hóa mùi...Nhật bản

Vừa mới set quyền cho penguin attach file đấy. Thử attach xem sao. Nếu không biết cách thì kêu chị Dịu mà hỏi nhé.

Không dám "chị Dịu" đâu.

Mà nhìn qua cũng biết penguin-san rành mấy khoản này nên cũng ko có gì phải hỏi đâu nhỉ :D
 

penguin20110

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Re: Ðề: Đọc nghe... Văn hóa mùi...Nhật bản

Không dám "chị Dịu" đâu.

Mà nhìn qua cũng biết penguin-san rành mấy khoản này nên cũng ko có gì phải hỏi đâu nhỉ :D

Hì, lần này tự làm được rồi nên không kêu chị Dịu :d, lần sau có gì sẽ ới ời "chị Dịu" sau nghen.
 

penguin20110

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日本が誇る美しき山「富士山」

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山梨県と静岡県にまたがり、日本のほぼ中程に位置する、日本一高い山「富士山」。富士山は古くから神聖な山として、人々の信仰を集め、心のよりどころとなってきました。今回は富士山についてご紹介しましょう。

 現在、標高3,776mの富士山は、約1万年前にほぼ現在の形がつくられたまだ若く新しい火山です。活発な噴火活動の繰り返しの結果、溶岩と火山灰などが幾重にも積み重なった成層構造をしています。その偉大さと美しさはまた、日本の多くの芸術家を魅了し、優れた作品が残されています。浮世絵画家・葛飾北斎には「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろくけい)」という優れた作品があり、「赤富士」など世界に知られる名作もあります。富士山頂の月平均気温は、夏の一時期を除いてほとんどが氷点下で、年間平均気温は-7.1度です。富士山周辺部の平地の気温が30度の日でも、五合目まで登ると気温は16度程度となります。その時の山頂の気温はわずか7度しかありません。平地の三島と富士山頂では、年間を通しての気温差が平均22度もあるんですよ。

 7月1日から8月31日にかけて、富士山の登山シーズンだといわれています。この時期にはたくさんの人が富士山を訪れます。ここでは、富士山の歩き方をお話しましょう。お金、水、高カロリー食品、登山靴、雨具、防寒具、着替え、タオル、軍手、衣類などを入れるビニール袋などが基本的に必要とされている持ち物ですが、その他にも登山をする時間帯や自分の体調に合わせて持ち物を考えましょう。足りないものを、山小屋で購入することもできるんですよ。富士山の登山はかなりの持久力を必要とします。ストレスや疲労があると高山病にかかりやすくなるので、前日にはしっかりと睡眠をとってくださいね。
さて、いよいよ登山開始です。富士山には、標高2400mの富士宮口(ふじのみやぐち)、標高2000mのすばしりぐち須走口、標高1440mの御殿場口、標高2305mの河口湖口と、4つの登山口があります。どこからスタートしても、急発進、急加速は禁物です。体に負担がかからないように、とにかくゆっくり歩いて無理せず、マイペースに歩きましょう。頂上で見る荘厳(しょうごん)な日の出「ご来光」を拝んでみるのも良いかもしれませんね。

 皆さんもこの夏、富士山の登山を計画されてみてはいかがでしょうか?今回は「富士山」をご紹介しました。

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penguin20110

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日本の代表的な民族衣装である「着物」

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着物の歴史を遡ると、縄文時代の貫頭衣(かんとうい)にまで辿りつきます。飛鳥時代の唐文化の影響、平安時代の鮮やかな十二単。日本の歴史の中で、着物文化は私達と切り離す事はできません。今回は着物についてお話しましょう。

 現在、一般的に「きもの」と呼ばれているのは、和服の中の長着(ながぎ)にあたります。長着の仕立てには、裏のついた袷仕立て(あわせじたて)と、裏の付いていない単(ひとえ)仕立てに大別され、季節やTPOによって着分けます。日本の民族衣装の着物ですが、洋服の一般化によって、着用する機会が減少していました。しかし、最近ではアンティーク着物や和柄の流行により、若い世代にも人気です。これからの新たな着物文化に、昔ながらの伝統的な作法を織り交ぜ、今後も日本の美しい着物文化は発展していくことでしょう。
 着物の中にもいくつか種類があり、その中でも、未婚、既婚を問わず、冠婚祭、社交着として着用できるのが、訪問着です。訪問着は色留袖の次に格式高い着物です。様々な模様があり、洋装のビジティングドレスと同じという意識から訪問着という呼び名がつきました。鶴・亀・鳳凰など縁起のよい模様を多くあしらったものから、モダンな柄などその種類は実に様々です。訪問着は気軽に格式あるお洒落が楽しめる着物なので、長く着られて、飽きない一枚を一番は初めに購入することが大切です。
 以前は、訪問着には柔らかい生地が使用されることが一般的でした。しかし、最近では日本各地の様々な素材を使った訪問着が増え、柄もまさに多種多様となりました。訪問着は着用の場が幅広い着物です。様々な素材、模様の中から自分に合った着物を見つけるのもいいかもしれません。

 夏に着る、最もラフな着物、浴衣は、元々は湯上りにきる室内着でした。しかし、最近は、浴衣の柄や素材の変化により、夏になると、お祭りや花火大会など、内外とわず、浴衣を見かけるようになりました。浴衣は安価で着付けも簡単なため、日本人最も受け入れられており、子供から大人、また外国の方にも幅広い人気です。
 涼しげに見えるよう、白地や、藍地、紺地に秋の草花を染めた柄が一般的です。しかし、現在では和服ブームに伴い、10代から20代の洋服ブランドもこぞって浴衣を制作、販売しはじめ、原色ベースのカラフルなプリントを施したものが多く出回っています。昔からある、白地や紺地に、古典模様の浴衣は「古典的」今風の鮮やかな彩りの浴衣は「ブランド浴衣」と言われます。
 この夏、浴衣を着用し、お祭りや花火に行ってみるのも、また違った楽しみ方になるのではないでしょうか?

 いくつかの着物を紹介してきましたが、日本の着物の中でも、最も格式高い着物は未婚女性が着用する振袖です。振袖が、今のように、未婚女性の着物となったことの一つに、江戸初期(約400年前)の踊り子の風俗が上げられます。これは袖を振ると愛情を示す、袖にすがると哀れみを請う、などといったもので、それを未婚の娘達が真似をして大流行したため、振袖は未婚女性の着物という習慣ができあがったものだと言われています。また袖を振るという仕草から、厄払い、清めの儀式に通じるとも考えられていました。結婚式や成人の日などに、振袖を着用するのは、人生の門出に身を清めるという意味を持つようです。このように、昔から振袖は、人との縁、魂を呼び寄せ、厄払い、お清めに通じると考えられていたんですね。

まだまだ着物の種類はたくさんありますが、今回ご紹介した種類が現在多く用いられています。様々な着物、自分に合う着物を見つけるのも楽しいかもしれませんよ!今回は着物についてお話しました。

(Nippon Voice Blog, Linguist)
 

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